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2005年11月 アーカイブ

2005年11月11日

新しい肥満ペプチド



Stanford scientists’ discovery of hormone offers hope for obesity drug


『サイエンス』というと、日本の日経新聞社が出している『サイエンス』を思い浮かべるのが一般的だとは思うのだけど(わたしも大学院に行くまではそう思っていた)、実際には、サイエンスといったら、アメリカの権威ある雑誌で、日本のカタカナの『サイエンス』という雑誌とは何の関係もない。


日経『サイエンス』は、アメリカの『サイエンティフィック・アメリカン』の日本語版である。日本の『ニュートン』のような雑誌で、著名な研究者が書いているとしても、いわゆる原著論文を掲載する学術誌ではない。翻って、英語の『Science』といったらNature(イギリスの超有名学術誌)に比肩するアメリカの学術誌。


という前振りのあとで、あえて云うのだけれど、レプチンやグレリンの系列に属するあたらしい肥満ペプチドが発見されたという。まさ『Science』にふさわしいという極め付きの発見のひとつには違いない。


ダイエット薬として、いままではどれも役不足だった。さて、今回はというのが、興味の焦点だろう。


2005年11月14日

こういうほうが気楽だし



こういう場所では、自分にはあまり責任がなくて、なんでも言える反面、よほど面白いことを書かないと、注目もないというのが自明なので、とりあえず気楽だな、と。


自分が仕事で作った原稿の要らなかった部分を、実名でこのHatenaで発表しているヒトもいるらしい。厚生労働省の研究所のヒトだという話だが、本当かどうかは知らない。


どっちでもいいけど、その情報を個人ページで流すのではなくて、国立医薬品食品衛生研究所の当該ページで流すほうがいいはずだと思うkedo...


2005年11月15日

健康食品がテーマ



なにを書くかを決めたわけではないが、健康食品についての話題と、ダイエットについての話題がメインになるだろう。


それに加えて個人的に興味のある話題を書く。


とはいうものの、すでにトランス脂肪酸や共役リノール酸?(CLA)などの話は、別の処でさんざん書いてきているし、αリポ酸?の話も雑誌に書いている。そういう原稿が読めなくなった状況が、ここに来たそもそもの原因なのだから、ここに再録してもバチは当らないと思うけど、そのまま載せたって、書いているほうは面白くないから、新しく書きなおしていこうと思う。


とりあえず、学会から帰ってくる日曜日以降だな。


2005年11月17日

AHCC



とりあえず、アップデートな話題。つーか、たぶん個人的に、だな。


AHCC?って、アミノアップ化学って会社が販売しているがんに効くらしい健康食品。


AHCCインターネット相談室というのもあるけど、ここでは、販売元の会社とは無関係だと一応ことわってたりして。


実際どーなのよ、って下世話な詮索はどうでもいいけど、実はオレもAHCCというものは初耳だった。でも、これがAHCCというキーワードで検索すると、PubMedというアメリカの国立医学図書館の文献データベースで、まちがいなくAHCCそのものの文献がヒット(見つかる)する、とりあえずはエビデンスが皆無ではない健康食品なんだ。


それ見ると、AHCCは実はActive hexose correlated compound?の略なのだとわかったり。


単にオレの無知をなじってもらっても、それはそれでアリってことで。


中には、ヒトを対象にした試験結果もあって、関西医科大学?のグループが出しててさ。これ、すごくない?


アミノアップ化学のホームページ見てると、英国の(多分世界で最も権威のある)『Nature』誌の取材を受けたとか書かれてて、ひょっとして、まじスゴイ会社なのかも。


ただ、これじゃ、まだかなり弱い証明でしかないって、言っとく必要はあるよね?


第一に、AHCCをActive hexose correlated compoundと言い換えても、それだけじゃ、化学的にはまだなんも言いえたことにならないって現実がある。ひょっとしたらどこかの論文に構造式がでてんのかもしんない(だったら謝る)けど、hexoseなんていくらでもあるわけで。


そのcorrelatedじゃ、おおざっばな構造は想像できても、曖昧だよね。リコペン?とかビタミンCというものがあるわけなんだから、こういう書き方しかできない化合物は、現実には実態にかなりのバリエーションがあるって可能性もあるんじゃないっていう。製品にしても、同じでしょ?


例えばの話、hydrocarbon correlatedだったとしたら? ごはんでもパンでも、おまけに食物繊維だって仲間なんで、こんな曖昧なものはないということになっちゃう。いや、そういうふうに言ったら本当にそうなんだけど。


念のためにいっとくと、こんな議論は、研究者の世界では毎日の話の中でいくらでも出てくるわけ。だから、AHCCとか、本当にそれが意味あると思う研究者は、なんとかそれを明確にしたいと思って格闘してるわけで。


オレとしては、現実にAHCCというものを作ったり研究したりしている人々が無自覚だったりそこに安住しているとも思ってないんだけど。


まさか、ね。


そりゃあ、臨床研究がなければ無意味かもしんないけど、有効成分がわかんなけりゃ、そりゃただの健康食品でしょ? あ、それでいいわけか。いや、単なる冗談だけど。


還元論的な議論が嫌なヒトって確かにいるよね。でもさ、それなしには終われないでしょ。少なくとも、信頼を全ての面で得たいと思うのであれば。


これ以上還元しちゃうと作用が消失しちゃうというのであれば(ヒトを、その腕や脚だけを切り取って見せても、ヒトの一部ではあっても、ヒトとは言えないもんね)、それを証明する必要があるってことかな。デカルトみたく。リコペンを分解すんのも、化学的には簡単なことだけど、それじゃ意味ないわけでしょ? その線引きを、有効性を主張する研究者には証明する義務があるってこと。


同じ問題が、アガリクスの有効性にもあるかも。動物実験の論文は多いのに、ヒトに対する有効性はあいかわらずほとんど出てこないよね。


期待値で商品を判断するのがいちがいに悪いとは言えないともいえない。人間ならだれだって期待するでしょ。そこには例外は多分ないよね。


みんなに研究者の視点を持てというのは無謀かね。でも、あなたに救いたい愛する人がいて、そのためなら人生も全財産も投げ出して良いと思うんだったら、いまのところいちばん信頼がおけるEBM的な判断も念頭に残しておくことは、別に悪いことじゃないでしょ? 確かに、やりたくもない勉強を強いられるかもしれない…かもしれないけどね。


2005年11月18日

昨日の日記は



AHCC?の話題を書いたけど、最初のほうだけ読むと、まるでAHCC?を賛美しているようで、ちょっとヤバイかも、と思った。


全然そういうことはなくて、こんなわけのわからない正体不明の物質では、そもそも根拠以前の問題だといいたかったのだ。


祈り?の効果をEMB?的に証明しようとする一派がいて、結構一流の学術雑誌にも論文を発表しているけれど、祈りというのは宗教的な行為だし、たとえそこに物理的な裏づけが存在するとしても、そもそも「祈り」という行為が(理学的には)定義できないのだから、その効果も、それだけで価値が低くなる。


そういう論文の中には、宗派の違いを超えて「祈り」を研究したなんていうのもあって、それは、イスラム教の祈りとキリスト教の祈り?EBM的に等価なものということになっている。


EBM的なようにも思えるけれど、実際には祈りが定義できない時点で、これは根拠でもなんでもないと思う。


AHCC?にしても、それと似たり寄ったりだと言いたかったんだけど。


心理学にも似たようなところがあるように思う。


でも、わたしは宗教的な意味では祈りの効果を信じてもいるし、心理学にも人間の行動を明らかにする一定の有効性はあると思う。成分が曖昧だからといって、それが効果がないことを必ずしも意味はしない。


#米食より洋食のほうが脚気?になりにくいんだという高木兼寛?の論文(または主張)と比較してみると面白いかもしれません。


2005年11月21日

カフェにはカフェイン、マテにはマテイン?



マテ茶?というのは、マテ?という植物の葉の浸出液だが、一部の健康食品サイトでは、マテに含まれるのはマテインというカフェインとは似て非なる物質で、これがマテ茶の特徴なのだそうだ。


ケミカルアブストラクト?という古く由緒ある化学文献の膨大なデータベースにもmateine?という化学物質?の登録があるそうだ(有料なので、直接確認はしていない)。そのことが書かれたErowid氏の記事(ただしマテインの存在に否定的)によると、カフェインには構造的に立体異性体?が存在し得ないのだというし、マテには入っていないはずのカフェインの定量をした論文も存在する。


まてよ。


これもAHCC?の仲間なのだろうか? 身体の中の活性酸素を除去してくれるという、活性水素水?の仲間なのだろうか? 


話題がそれるが、活性水素水サイトのひとつを見ると、活性水素という用語は理化学辞典?にも採録されているらしい。それが本当だとしても(まだ確認していない)、活性水素状態は含まれるミネラルとの相互作用の結果生ずると、記事中に登場する九州大学の教授自身が言明していたはずだ。そういう状態の水が「ルルドの泉?」や「トラコテの水?」の奇跡の正体であってもぜんぜんかまわない、というのは、それらは奇跡を起こすのであるのだから。


奇跡についてなにかを語ろうとする人ならだれでも知っていると思うのだけれど、奇跡は科学とは無縁である。奇跡は神様がなされるのだとしたら、どうして神様は、それを御自分がなされた物理法則に合わせる必要があるのかということだ。


「祈り」の効果もそういう風に見れば、明らかにおかしな現象だということがわかる。研究論文の書き手の目論見としては、祈りという人間に(恐らく)不変的な現象に医療効果が認められれば、これを使うべき理由になり、多くの人の祈りを正当化し、とかなんとか色々考えた結果なのかもしれないが、祈りを聞き届けるのは神様だというのが一般的な考え方だし、現実に祈る人間は、なにに対して祈るのか、といえば、日本人なら、かみさまほとけさま! 欧州なら、Oh! ジーザス。トルコなら、「アッラーは偉大なり」というのが普通である(と思う)。


神を試してはいけない、というのはキリスト教の教義ではなかっただろうか? 最初から効果がなかったりあったりして一定の結論を導けないようにしかならないのが明白なのだ。


活性水素に戻って考えると、化学的にいえば、その効果が、消化管の内側以外にも影響を持つと考えるためには、それを証明して見せる必要があるだろう。


上記の活性水素水サイトは、九州大学の先生がキチンと説明していたこともふまえていないので、問題外。


2005年11月25日

更新頻度と信頼性



医療情報学連合大会で、サイトの更新頻度は信頼性に影響を与えるという意味のことを言ったら、座長が「日付は関係ないでしょ、古文書なんか古いほうが良いわけだし」とわけのわからないことを言い出したので困ってしまった。


たとえば、20年前にFAXの解像度でスキャンされた白黒の『鳥獣戯画』(でもなんでも)のコピーと、今2,600dpiとかそれ以上の解像度でフルカラースキャンされたものの、どちらが良いかという問題であって、サイトが更新されなければ、いつまでもFAXのままなのだから、ちょっと考えれば更新頻度と信頼性には関係がでてくるのは明白だと思う。


古文書の製作年月日は、新しいほうが良いとはいえない典型的な例だが、ウェブサイトでは、その古文書の別の写本が見つかったかどうかについて、今日現在までの情報を与えてくれなければ、それだけ信頼性が低下する、とわかりやすく言えばそういうことになる。


ていうか、僕が勝手に言っているわけじゃなくて、もともと米国のタフツ大学やスタンフォード大学のウェブの信頼性に関する研究で言われていることを踏襲しているに過ぎないのだが。


実際に発表をした共同演者の女性は、卒なく切りぬけて、その見事さにもちょっと感心した。そういうのはやはり女性にかなわないというのが偽らざる最近の心境だ。


でも、自分では常識に類することだと思っていたので、座長の先生だけでなく、フロアからも同じような質問をされたのはちょっと(どころかかなり)ショックだった。


「小学生に最新の知識は必要ないでしょう?」とにやにや笑いながら言われると、まったく同じことを三年前に二十歳の女子大生に言われたことを思い出す。


もちろん、ほとんどの場合必要ない。でも、いつのまにかバターよりマーガリンが良かった時代は去り、今はマーガリンよりバターが良いと新聞などでは言われ、現実は考え方によって微妙にどちらかに傾く(つうか、どちらでもなくオリーブ油というのが良い子の答かな)という現実の中で、「古文書は…」とか思わず言い出すヒトがいたりして。


僕は、マーガリンが良いと単純に信じて育ったけど、いまそんなことを無邪気に書いてあるサイトは明らかに間違っているし、そんなものを子供に見せて信じられたらたらまったものじゃあない。


報復はまさかないと思うけど、この世界、なにがあるか予測がつかないので、ここで止めておきます。ピーターパン縊死っていうのかな、ティンカーベルジョイっていうのかな、よくわからん。


僕も共同演者も、これでかえって医療情報学連合大会というものを見なおしたのは皮肉かもしれない。他の学会だったら、コンピュータが分らないということで、この手の質問はないのが普通なので、こんな議論のし甲斐のある学会ならもっと積極的に出してもいいねと互いに確認しあってしまった。


座長の先生は(義務で居たので)ともかくとして、日本で最初の帝国大学になったある国立大学法人の先生は、…いや。…まだオレ失脚とかしたくねえし。


2005年11月26日

共役リノール酸



共役リノール酸?別名CLA?ともいう。


国内では、今現在売れ筋の商品らしくて、うかつなことは言えない状況にある。暗闇で刺されるかもしれない。


国立健康・栄養研究所では、動物実験の結果として、あまり大量の摂取は良くない結果をもたらすと解釈できる論文を発表しているようだが、別の北欧の研究者らは、ヒトに実際に投与して悪い結果を得てしまったという論文を発表している(もちろん、悪いと思われた時点で実験は中止された)。


動物とヒトにおいて悪い作用が観察された健康食品が、そのような事実を隠蔽されながら売られ続けているように見える実態というのは、日本に特有というわけでもないようだ。


飲みすぎなければ良いということなのかもしれない。


でも、計算してみると、ヒトで悪い作用が現れる(具体的にはグルコース不耐症?という糖尿病の一歩手前と考えられる状態になる)という用量は、常用量の二倍程度なのだから、薬理学的に考えれば、常用量ですでに飲みすぎの状態になっているヒトがいる可能性も、飲み過ぎ状態とはいえなくても、なんらかの副作用が起きている可能性もある。そうではないという可能性もないわけではないということは、普通は研究者は自明のこととして言わない。


用量作用曲線というものは、薬物でも食品でも、なにか明らかな影響を示すものであれば作れるというか、概念的に考えられるし、実際に測定して作ることができる。


そこで曲線に現れる薬理作用というか、生物学的に影響が出るということの実態は、その物質が細胞の受容体に結合した(または結合を邪魔した)結果現れるか、細胞の中に取りこまれて現れる場合がほとんどだと思われる。


ということは、作用の現れ方の根本には、用量、つまり物質の数と受容体や細胞の数の割合が関係しているということになる。


たとえば、まったく欠損症のヒトでない限り、お酒は、ビールをコップに一杯でも酔う。そこから一気飲みボトル1本まで、大半のヒトがこの間を上下しつついい気分になっている。決して10リットルから1,000リットルの間になったりはしない。


別のたとえでいえば、普通のヒトがフル・マラソンをするなんてとんでもないと思うかもしれないけど、考えてみれば、四十キロちょっとなのであって、決して400キロでも4,000キロでもない。


そういう一般的な事実から鑑みて、二倍量で病気になるものが、一倍量(つまり常用量)で影響が皆無であるためには、どういう状況が想定されなければならないか、ということである。


実際に痩せるなら、そのリスクは検討しても良いかもしれない。でもね…。あっ? いや、あんたたち誰? えっ? エーッ…?


まあ、冗談はさておき、動物実験の結果によれば、確かに痩せるらしい。ヒトがどんな価値観を持とうと自由なので、痩せることが糖尿病になるリスクを高めてもかまわないのなら、それはそれで問題がないというわけ。…かな?


こういう研究は、なぜか国の公的なサイトには掲載されない。というのは、常用量でダイエットを遂行し、かつ何の病気にもならないヒトもたくさんあり得るという状況の場合、こういう無害なヒトたちに訴えられるかもしれないから。


アスベストと違うのは、将来なにかあっても、決して救済されません。というのは、CLAを飲むのは極めて私的な行為だから。証明できないだろうし、証明できても勝手にやっただけのことだと突っ撥ねられるのがオチ。


もう、ぜんぜんオチてないじゃない!


2005年11月27日

コエンザイムQ10



コエンザイムQ10とか、α(アルファ)リポ酸?とか、カルニチン?とか、今年の健康食品のトレンドは明らかに、ヒトの体内にあって、別にビタミンのように補給する必要はないけれども、老化?に伴って減少していく物質にあったという気がする。


老化に伴って減少していくというところがミソ。


老化に伴って髪の毛が減少していくのは男性に顕著な現象だが、じゃあ発毛促進剤によって毛がたくさん生えてくれば老化が抑制されるのかといえば、そんなわけ、ないに決まってる。原因と結果の関係を因果関係と言い、そういう関係の場合に、結果のほうだけを抑制しても原因は抑制されないからだ。


頭皮に付ける薬では、老化の本質に迫れないというのは、分りやすい考え方(だって頭に何かを塗ったとして、それが心臓や肝臓、もっと近くの脳に入って効くと考えるヒトは日本では少数派でしょう? 目薬をさしてもそれが脳に達すると考えないわけだから)。


CoQ10?アルファリポ酸などは、補酵素として、酵素の働きを補う役目を、細胞の中で果たしている。原因は未だにわからないけれども、老化というのは細胞が若い頃のようには働かない現象である。ということで、三段論法的に、これらを補ってやれば老化が防止できるかもしれないという期待は、上の発毛剤の場合と同じ理屈なのだが、ひょっとしたらもっと原因にかかわっているかもしれないという期待があるところがちょっと違う。


実際、これらの補酵素は生存に取るに足らない補酵素とは言えないし、老化のメカニズムに無関係とも断言できないからだ。


だれも老化のメカニズムを断言できないのだから、これは当然のことである。


そうはいうものの、僕は個人的には、これらの商品と、AHCCの間にどれほどの違いがあるのかがよくわからない。祈りの効果も、そのひとつだ。


還元論者と非還元論者の対立のような図式があるのだろうか?


僕は、効果のない(仮定です。実際にはこれからの研究で決まるわけですから)健康食品のうちで、構造式やヒトの体内に存在することを理由に、これはまともだという考え方は、還元論的である。そういうヒトが祈りの効果?を認めることは、まずあり得ない。同時に、AHCC?のように、お金のためかもしれないけど、その臨床試験をやっている関西医大?の研究を無視して、構造式がわからないことを糾弾したりする。


三共が製品化したオリザニン?は、当然の事ながら商品名だったのではないか?


話の流れを見ると、まるで僕はAHCCも祈りの効果も認めているような印象を持たれるかもしれないが、それが一番間違っている。


全否定するほどの自信が僕にはないというだけだ。


世の中には、まるでこれだけが世界だというように物事を分けてしまうヒトが存在する。ヒトというのは、既に分れているものを新たに分けなおすのはかなり苦手である。だから、コペルニクスが地球が動いていると考えるほうが合理的ではないかと考えても、なかなかそれを正当化できないで時間が過ぎてしまい、そのためにはガリレオ・ガリレイを待つ必要があったという事実から、分けるのが上手なヒトは、きっとガリレオのような何百年にひとりという科学の天才であるのかもしれない。


AHCCみたいな訳のわからない名前の物質をもっと正確に記述できないのかといういらだちがある一方で、こんな子供の戯言みたいな言い訳を許容できない偏狭さにはもっといらいらする。政治? だとしたらそれはフォロウできないな。


最後に。


僕は宗教的な祈りの効果を信じたいという気持ちは人一倍強い人間だが、それをRCT?(無作為抽出対照試験?、つまり誰が検証したいクスリを投与されるのか、診察している医師にも決定できないという、現時点ではもっとも信頼できる結果が得られる臨床試験)でやることは、神への冒涜以外の何物でもないと思う。


当たり前の話だが、このような宗教に関する問題を科学に持ちこむのはあきらかに間違いだ。それはカントが既に指摘していたのではなかったのだろうか? 純粋理性?と実践理性?という形で。


思いつきで言うと、これは実は実存主義なのだな。なんて、いつまでも偏狭なコロニーに留まっていないでさあ、つう話かもね。


だから、コロニーの支配者に無視されるわけです。若いヒトは真似しないほうがゼッタイ良いゾ。


2005年11月28日

エンパワメントということ



これはある意味では極めて単純な教育論?である。フレイレという教育学の分野では有名らしい先生(すみません、知りませんでした)が、インディオに識字教育?をするときに用いた手法というか、基礎理念というか、それがエンパワメントということだったのだ。


その後、黒人貧困家庭?の救済といった問題から、糖尿病教育?へとその精神が受け継がれていき(つうか、お手本にしていろいろやってみたというわけだろう)、それが病気ではないヒトに対する栄養教育?まで展開した(しつつある)ということだ。ただし、まだ行きついたというわけではないかもしれないけれど。


もともとこの手法は、字が読めなくて相当困っているはずのヒトを対象にしたものであって、字が読めないという人間は、通常収入も低く社会的に差別されていることが考えられる集団である。


そのような集団においてさえ、彼らのプライドというものがあるということが重要な課題になるというのに、なんの問題もない、単に太っているとか血圧が高いというだけの人間であれば、エンパワメントされていると感じた瞬間に激怒してちゃぶ台(いや、診察台か…)をひっくり返して立ちあがってその場を去る、というような事態に立ち入りかねないことは容易に想像できる。プライドの高い、特に男性にはそのようなこともあり得るだろう。


ただし、それは失敗例である。


エンパワメントの真骨頂は、プライドを傷つけられたとは感じないところにあるのだから。


親身になって話を聞く。やりたいことを実現してあげたいと思い積極的に荷担する。いつでも中心にいるのは当の患者である。本当にうまくいったエンパワメント教育においては、患者は自分が患者であることさえ気が付かないのではないかと思う。


ただし、ここのタイトルにもなっているダイエットエンパワメントは、少し違うものだ。


まず、これはエンパワメントされた食事というような意味合いでもあって、かならずしも主体が人間ではない。それ以外の点については、追々見ていくことにしよう。


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