これはある意味では極めて単純な教育論?である。フレイレという教育学の分野では有名らしい先生(すみません、知りませんでした)が、インディオに識字教育?をするときに用いた手法というか、基礎理念というか、それがエンパワメントということだったのだ。
その後、黒人貧困家庭?の救済といった問題から、糖尿病教育?へとその精神が受け継がれていき(つうか、お手本にしていろいろやってみたというわけだろう)、それが病気ではないヒトに対する栄養教育?まで展開した(しつつある)ということだ。ただし、まだ行きついたというわけではないかもしれないけれど。
もともとこの手法は、字が読めなくて相当困っているはずのヒトを対象にしたものであって、字が読めないという人間は、通常収入も低く社会的に差別されていることが考えられる集団である。
そのような集団においてさえ、彼らのプライドというものがあるということが重要な課題になるというのに、なんの問題もない、単に太っているとか血圧が高いというだけの人間であれば、エンパワメントされていると感じた瞬間に激怒してちゃぶ台(いや、診察台か…)をひっくり返して立ちあがってその場を去る、というような事態に立ち入りかねないことは容易に想像できる。プライドの高い、特に男性にはそのようなこともあり得るだろう。
ただし、それは失敗例である。
エンパワメントの真骨頂は、プライドを傷つけられたとは感じないところにあるのだから。
親身になって話を聞く。やりたいことを実現してあげたいと思い積極的に荷担する。いつでも中心にいるのは当の患者である。本当にうまくいったエンパワメント教育においては、患者は自分が患者であることさえ気が付かないのではないかと思う。
ただし、ここのタイトルにもなっているダイエットエンパワメントは、少し違うものだ。
まず、これはエンパワメントされた食事というような意味合いでもあって、かならずしも主体が人間ではない。それ以外の点については、追々見ていくことにしよう。