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2006年03月 アーカイブ

2006年03月01日

理不尽なこと



 世の中には理不尽なことが、現実に存在するけれど、自分に関係なければ見ないフリをすることが多いような気がする。


 理不尽なことの最たるものは、自分の説明を聞いた相手が、翌日会議の席上で経営陣のまえで、その内容を、自らのアイデアとして話し、喝采を浴びている図であろう。アイデアが評価されたことはうれしいが、それで地位も給料も上がらず、せいぜいその説明した相手から多少の評価を受けるだけだったら、もうなにもするもんかという決意を堅くさせるには充分な動機かもしれない。


 そうやって、実際に活性化のためのアイデアの芽を潰していると思うけれど、経営陣は、上がってこなかったアイデアについては蚊帳の外であって、つまり評価の外にあるので、気付くこともないというわけだ。


 さすがに、いままでは給料だけは保証されていたけれど、4月からはそれもわからないらしいので、生きるための手段だけは確保しなければならないだろう。


 それだけは、何をいわれようと、しょうがないじゃん。


2006年03月06日

理不尽なこと(承前)



 昔、眉村卓が『消滅の光輪』をSFマガジンで連載していた時、いつも文章の見出しに「(承前)」と付記されていた意味がわからずに、なんとなくかっこいいと思っていた。司政官シリーズで最長のこの長編は、そのようにして少しずつ書かれていったが、当時(確か)高校生から大学生だったわたしには、お役所仕事を苦悩しながら遂行する主人公に感情移入することができなかったので、連載時もその後もまったく読んでいない。


 読んでいれば、承前が(続き)を漢語で言い換えただけなのはすぐわかったはずだ。冷や汗ものなのだが、幸運なことに誰にも言わずに済んでしまった。


 幸いなことに(?)、わたしはまだこの小説を読んでいない。大学を出てからお役所のようなところにも勤めたので、今ならけっこう興味津々で読めるのではないだろうか。


 さて。


 えーと。


 なにが理不尽なのか、よくわからなくなってしまった。


2006年03月08日

理不尽なこと(承前)



 承前というのは、いつも承前なので、2回以上続くと順番がわからなくなってしまう。雑誌連載ならばわからなくなるはずはないので、問題はない。


 直接の関係はないが、あの(承前)に惑わされてしまうというのは、SFマガジンという入れ物が持っていた魅力というものも大きいような気がする。ミステリ・マガジンもそうだが、早川書房の雑誌は、他社の雑誌とはかなり違う雰囲気をもっていた。ミステリ・マガジンならそもそも使っている紙が全然違った。SFマガジンも表紙は、開くのが躊躇われるような厚い紙が使われていた。わたしは、初めて買ったSFマガジンの表紙を、後先考えずに思いっきり開いて折り目をつけてしまい、ずっとそれを後悔していた(コレクターになっていたら今でも後悔していたかもしれない)。


 などと思いつくままに書いていると、また理不尽の内訳を忘れてしまいそうで、それはそれでちっともかまわないことだが、今回は忘れないうちに書いておこう。


 と思ったが、残念なことにまた失念してしまった。


 でも、こんな調子では、そのうち忘れたくても忘れられない記憶が、なにを書き出すかという恐れがある。国民のために良かれと思って書いていても、勤務時間中にBlogをやったと注意される御時世である。


 仕事の一環として行っているBlogまで、規制の対象とならなければ良いと思うけれど。


2006年03月09日

Self Control



 20年くらい前にはやった歌。作者は前世紀の終わり頃に一時代を築いたけど、この頃は、まだ一部のファンしか知らなかったかもしれない。わたし自身は、TMNetworkのファンだった女の子に聴かされた。同じグループの『八月の長い夜』とこの2曲だけは印象に残っている。


「歌は世に連れ、世は歌に連れ」という言葉があるが、歌はある時代というか瞬間の記憶をまるごと呼び覚ます、一種の呪文のような働きをすることがある。プルーストのマドレーヌという感じだろうか。


 マドレーヌなら長い文学的な営みにもなろうというものだが、音楽の呼び覚ます記憶は、なぜかほろ苦いものが多い。思い出した瞬間に、顔をしかめてしまうような。


 音楽に限らず、ふいに思い出す記憶は、要するに忘れたくて忘れていたのを呼び起こされるので、あまり良い思い出ではないものが多いような気がする。逆に忘れたくない記憶は、常に記憶にあるので、ふいに思い出したりすることはない。当たり前だ。


 『春よ来い』の主題歌の二番は、


   君に預けし我が心は


   今でも返事を待っています


   どれほど月日が流れても


   ずっとずっと待っています


という歌詞で始まる。


 ある日、カーラジオからこの曲が流れてきた瞬間に、涙が止まらなくなってしまったのは、心を預けた君にはもう永遠に会えないからだ。でも、自分でもさすがに驚いてしまったくらい、音楽には強い力があることを再確認させられた。涙が止まらなくなるどころか、泣くとさえ思っていなかった。


 わたし自身の実の娘が、そのもう永遠に会えない君だったという事情があるにしても。


 でもそれももう11年も昔のことだ。(と書いてあるのを読んで大半の人はほっと胸をなでおろすと思うけど、読者に気を使って書き足しているだけで、11年は昔ではない。ほっとした人とはお友達にはなれないかもしれない。もともとなりたくないだろうから、問題はないでしょう。)


 なんだか、だんだんプライベートな話題が多くなっている気がする。栄研サイトからリンクが張ってあるので、以前にも上のほうから注意めいたことを言われたことが確かにあるし、自分でも気を使ってはいるのだが、とりあえず社会問題にならなければ黙認ということのようでもある。もちろん黙認だからといって、何を書いてもいいわけではない。


 栄養研の職員は、4月からは公務員ではなくなる。自由になって良いというのも一面の真実だが、職員の中には公務員であることが意味のあることだった人間も少なくない。否応なく非公務員化は進行する。同情するなら金をくれというところか。


 以前にも一度だけこの話題に触れたことがあったが、その時もお断りしたように、この話題にコメントしたりメールしたりしないで下さいね。


2006年03月10日

それはわたし、とすずめがいった…



 だれがころしたクックロビン


 それはわたし、とすずめがいった


 わたしのゆみとやばねで


 わたしがころしたクックロビン


            (マーザーグースより)


 明日は、娘の命日だ。自分でも、いつもここに帰ってきてしまう理由がわからなかったのだけれど、やっと思い出した。そのことを書く。


 わたしがウェブのHTMLを実際に書き始めたのは95年の夏である。


 すでに、ウェブサイトがSGMLに似たタグのかたまりでできていることは知っていたが、日本語の手引きといえば、雑誌の記事しかなかった。HTMLを書くだけだけならそれでも問題はなかったのだが、現実にはウェブサーバのデーモンをコンピュータで立ち上げなければならず、それにはUNIXの知識、特にFTPとTelnetといったコマンドライン型のアプリケーションを覚える必要がありそうだった。


 サンのワークステーションでUNIXは使っていたものの、それまでに二回ほど、システムがたちあがらなくなる失敗をしていたので(一回は自力でバレないように回復したが、二回目は業者に頼むことになってしまった)、あまり使いたくなかった。UNIXというのは、Macなら笑ってリスタートするだけの場面で、二度とたちあがらなくなることが多過ぎるというのが正直な感想だった。


 それで、しばらく様子を見ていたとき、たまたまバンクーバーの学会に行く機会があって、その折にウェブの参考書を見つけたのだった。その本が良かったのは、ウェブのHTMLにせよ、CGIを書くのに使うPerlのスクリプトにせよ、ただひたすら単純なものを目指していたことだ。それまで、日本の雑誌でCGIが紹介されても、プログラムのプロが書いたPerlのスクリプトは、エラートラップまで完全に仕上げてあるもので、素人が一目で内容が理解できるものではなかった。明かに、仲間のプログラマ向けだったのである。


 わたしがカナダの大学生協で見つけた本は、コンピュータについて一応は知っているが決して専門家ではない人間がウェブを立ち上げるために、本当に最低限知っていなくてはいけないことだけが書かれてあり、その後実際に動かしてみる時もほとんど問題なく動いたのだった。上述の雑誌のプログラムは、完璧らしかったが、それが災いしてか、わたしが使ったUNIX系OS上のウェブサーバではまったく動かなかった。当時の知識では直すこともできなかった。


 なによりも助かったのは、その本にMacintosh上で動くウェブサーバも含めたUNIXアプリケーションがCD-ROMの形で添付されていたことである。ウェブが普及する前にフリーウェアを手に入れるのは、今では想像もできないほど大変だったのだ。雑誌にもついていたが、あの頃の雑誌のCD-ROMは何かが記憶されているという以上の意味をもったためしがない。皆無ではなかったとしても。多分、日本ではなにかが欠けていて米国にはそれがあるらしい。行ったことがないので、勝手な推測だが。


 Mac上で動くサーバを手に入れたことで、ファイルの編集が簡単にできるようになった。


 こうして無事に栄養研のサイトは95年の夏にはたち上がった。最初はMac上で。お隣の研究所のサイトが立ち上がるまで、外からは見ることはできなかったが、それも翌年の春には実現された。


 冒頭の話に戻るが、すでにおわかりのように、バンクーバーに行ったり、ウェブサイトの構築に時間をかけているのは、時間があったからなのだ(バンクーバーで、わたしは入るつもりがなかった生協の書店に入るように勧めたのは家内であり、もちろん一緒に学会に行けた理由は言うまでもない)。


 忘れようとしてウェブに没頭した、とか、新しいウェブは我が子の代わりのように思えて、とか書けばもっと感動的になるのかもしれないが、事実は最初に書いたように、どうしてなのかずっと思い出せなかった。


 当時のわたしに聞いたとしたら、ネットのなかにいるから、とか、ストラスブールとシャルトルで告知された、とか、わけのわからない答えをしたような気がするが、忘れようとしたというのは、ひょっとしたら本当なのかもしれない。だって、あの年に初めてウェブサイトを立ち上げたことすら忘れていたくらいなのだ。


 どうして立ち上げの頃の記憶があいまいなのか、深く考えたこともなかったが、それは考えるなということだったのかもしれない。ひょっとしたらある種狂気に近かったかもしれなくて、それで勝手にやっていても許してもらえたのかもしれない。って、それはないかな。すみません、いま作りました(ペコリ)。


 この記事もコメント、メール禁止です。でも一応前記事のレゾン・デートルはできたかも。


2006年03月11日

e-ヘルス行動マネージメントモデル



 eHealth Behavior Management Modelというものが、2004年10月に米国のCDC(疾病制予防センター)から発表されている。これは、限定された領域ではあるものの、健康教育で有名なトランスセオレティカルモデルに基いたインターネット上の健康教育モデルを提案したものである。


 日本は三年遅れというのが通常のパターンなので、まだ二年近くかかるということかもしれないが、わたしも含めて、こういうものが既に出ていることを知っている日本人は少なくないはずだ。


 無作為抽出偽薬対照研究(RCT)ではなく、ましてや症例対照研究(Case-control Study)ですらない、単なる印象批評のようなものは、すでにインターネットの世界では過去のものになりつつある。自分では決してインターネットを探索しない人間は決してそれに気付くことはないだろう。


 でも、回りの人間すべてがそうだったら、全然問題ないかもね。わたしの研究所は、わたしが知っている中では、かなりマシなほうではある(ほんとうに、偶然ではあるのだけれど)。


 いや、考えてみると、偶然ばかりともいえないかもしれない。


 それにしたって、問題ないことにはかわりないような気がする。「ホームページ立ち上げ」記者会見をするといって失笑を買ったある先生の時代からはずいぶん進歩しているとしても。


2006年03月12日

情報を売る人



 大学院生の頃、不思議だったもののひとつに、ときどき郵送されてきていた(今の職場では一度もない)特定分野における英語文献リスト(日本語題名つき)がある。リストにある英語論文をまとめてコピーして送ってくれるサービスらしいのだが、その値段が半端じゃなかったのだ。


 当時でも、ケミカル・アブストラクト、通称ケミアブは、隔週刊だったと思うし、インデクス・メディクスは月間だった。カレント・コンテンツも出始めていて、これは週刊誌だった。


 郵送されてきたリストをあまり真面目に見たことはなかったが、最新情報文献とうたっていたような記憶があり、どうして印刷されてある文献リストが最新でありえるのか不思議だった。印刷はまだ印刷所でするものだったからだ。


 つまり、わざわざ印刷している間に、新しい情報が別の印刷物で出てしまうのだから、送られてきた情報は既に古いものであり、最新でないだけでなく、完全でもない(最新のものが抜けている可能性があるから)。それ以前に、その種のダイレクトメールの送り主が、その分野の専門家集団とも思えなかった(分野が広汎であるわりにはリストのタイトルが専門的に過ぎた)ので、そのようなものを利用する人間がいるとは思えなかった。


 後に大学院の先輩に聞いた話では、そういうものは製薬会社などでは利用するということだった。それなら、異常に高い価格もわからないでもない。


 院生の人件費はただなので、ケミアブに一月ぐらい没頭しても経費はほとんどゼロだが、会社なら数十万の人件費が必要になるから、十万や二十万かかっても買ってしまったほうが早い。全く未知の分野の趨勢を知るためには安い投資というべきで、1冊七万円もする専門書などもその類かもしれない。この手の書籍はわたしもひとつふたつは購入したことがある。


 ただ、これは全く未知の分野であるか、既に知っている分野であればかならず読みたい論文がそれ以外には入手できない場合の話であって、現在では上記のようなリストを買わなくても、PubMedとGoogleがあるので、最小の手間と経費でかなりのことができるような気がする。


 だから最初に書いたような業者は死滅してしまっただろうと思っていたら、どうもそうではないようだ。ケミアブとインデクス・メディクスを引くのが面倒な人間にとっては、PubMedもGoogleも同じように面倒くさいらしい。


 完全でないリストに本当にそれだけの価値があるのかは、当時も今も謎のままだ。だれも読まない報告書の末尾に載せるためものならば、厚ければ厚いほど確かに価値はありそうな気もするが。


2006年03月13日

人月の神話



 この何日か読みなおしている、『人月の神話』(ピアソン・エデュケーション発行、星雲社発売)は、原著発行20周年記念増訂版と銘打っているが、本文にもある通り、状況はかならずしも好転していない。


 わたし自身は、100行程度のプログラムを書いたことがあるだけの全くの素人だが、ウェブの構築なら多少の経験(業者の方々がおっしゃることの大半はまだ理解できる)はあって、多く示唆的であった。


 この場合の示唆(suggest)というのは、原著論文で書く時の意味ではなくて、有益だという誉め言葉だ。


 プロトタイピングという例についていえば、わたしが作って1年あまり実際に運用もしたBBSシステムを、まったく無視して作られた新しいBBSが、プロジェクトのネックになっていると担当が考えているらしいという現実がある。


 もっとも、わたしが作ったのは、ファイルメーカーを使っている点がオリジナルではあるものの、見た目も挙動も、その当時一般的だったBBSをそっくりまねたのだから、えらそうなことはいえない。


 ただ、こういうものを作ってほしいという原型(プロトタイプ)を実際に提示できたというに過ぎない。


 思うに、会社の方は、自分がすでに開発した、したがってコスト減につながるシステムを捨てることが、個人的にも会社の方針としてもできなかったのだろう。


 この会社のSEさんは、文中に絵を表示するタグの機能を把握していなかったし、Wgetのようなソフトでミラーサイトを作るための機能にも明るくなかった。仕事として強制されているのであれば、仕方ないとは思うが、BBSにとっては、書きこみが増えないのは致命的な欠点ともいえる。同じ会社に改良を頼むのが良いのかどうかは難しいところだ。わたしの判断からすれば、その会社は、アクセスを増やすための多くの提案を言下に否定したので問題外だが、他のだれもが、彼らの発言を否定とは思っていないところに実は最大の問題がある。


 それらのすべてにおいて、彼らが間違っているとは主張しないにしても。


 このシステムを使う人間には、可能な限りの単純性が必要だと主張したのはかれらだ(だから一番単純なBBSにすることに同意した)が、多くの会議室を並列に並べるシステムにしたので、どこに書きこめば良いのかわからなくなった(もとはたったひとつしかなかった)。


 個々の素材についての批判は個々の素材情報を会議室に統合する形で行うと主張したのも彼らだが、結果としては、個々の素材情報は、書きこんだ本人以外は見ないことになってしまった。どこにいつ書きこまれたのか、だれにも通知されなければ、見るはずもない。


 実際、わたし自身(一応管理者権限がある)が、個々の素材についての書きこみをどうやったら見られるのか、いまだにわからないでいる。


 最初にわたしが組みたてたものは、書きこみは素材情報の下に表示されたし、その通知メールからただちに書きこみへと飛ぶことができた。特に難しい技術でもなんでもない。


 わたし自身は、phpやJAVAのようなもっと下層の技術はまったくわかっていないのだから、決して彼らより知識があると誇ることはできない。でも、だからこそいくらでも言いたいことがいえるというのも本当かもしれない。


 今回、4月から新しい中期計画(5ヵ年)が始まるので、五年前にHPのデザインをお願いした会社に連絡をとった。


 会社の代表の方が、恐れ多いことに、お見えになったが、その後はなんの連絡もない。代表の方はわたしがむかし目一杯嫌味を言い続けたことを覚えていたので、そうなるのは本人自らがお越しになるという連絡があった時点で予想されたが、わたしとしては、もう一度引き受けてもらいたかった。


 SE担当もデザイン担当も辞めてしまった会社に同じことができるわけもないというのも真実かもしれないけれど。


2006年03月14日

サラダの日々



 なにも予備知識がない状態では、これが生活習慣改善と結び付けられれば、単にサラダを食べる日々なのだと思うかもしれない。


 それが大半の人の感想(調べたわけではないので、間違っているかもしれない)だと思うと、これをサイトのメインタイトルにすることには躊躇してしてしまう。


 元来、サラダの日々というのは、salad daysの訳語であって、これはシェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』のクレオパトラの独白の中で使われている言葉である。サラダはフランス語(salade、フランス語では最後のeは通常発音しない)だったので、要するにダイエットの意味するものがdietとは相当異なっているのと、ある意味、同じ現象かもしれない(本来は塩を振りかけたものくらいの意味)。


 クレオパトラの青春時代が、ほんとうに思慮を欠く(green、つまり青臭い)けれども、血は冷たい(cold)という、サラダのようなもの(サラダは緑色をした冷たい食べものだ)だったかどうかはともかく、英語においては、これがハチャメチャな青春時代を表わす表現として定着したらしい。


 わたし自身が意図したのは、シェイクスピアの云うところのサラダの日々であって、ほんとうにサラダ(だけを)を食べる人間を想定はしていなかった。サラダはわたしも良く食べるし、それが健康寿命に与える効果も、おおむね信じていると云って良いのだけれども、いくら健康に良いと云っても、ヒトはサラダだけでは生きて行けない。サラダの定義にもよるが。


 想像でしかないが、若いクレオパトラは、生き方はサラダの日々的だったとしても、食生活は違ったと思う。規模は全く異なるにしても、首相のような立場(というか権力を実際に持っている王族そのもの)だったのだから。


 シェイクスピアに戻ると、サラダの日々の意味するところは、現在のサラダが意味するものとはかなり異なっていて、かなりエネルギッシュなものだという想定が成り立つ。まさに「無分別な青二才時代」という訳語の通りに、である。


 そのような前提があっての、サラダの日々なので、それをダイエットのためのサラダのように受け取られるのは、わたし自身の思いとはかけ離れている。


 二重の意味があるという前提での言葉の使用は、前提が崩れてしまえば、かえって無用の誤解を招くし、何の意味もなくなってしまうから、使いつづけるのは混乱を招くだけだ。


 そのような理由から、一般に公開しているサイトでは、『サラダの日々』は使えないでいる。このサイトのように露骨なネーミング(ダイエットエンパワメント)のほうが、誤解が少ない分ましだと思う。


 もっと面白い名前で、しかも奥行きの深いサイトがやがて現れるようになるだろうと期待はしている。そうでなくては先には進まない。


 わたし自身は、『サラダの日々』の可能性を、とりあえず追求していくしかないが、それを他人にされるのは迷惑だし、勝手にやってもらうようなことでもない。


 とはいえ、自分が作ったわけではない名称に固執するのは馬鹿げている。『リンクDEダイエット』のように、伝統的でも魅力的でもない名称(とはいえ自分で作ったとはいえる)に固執するほうがまだ理にかなっているとはいえるだろう。


 あるいは、『ダイエットエンパワメント:ビギナーズガイド』とか。


2006年03月15日

サラダの日々(承前)



といっても、今回は話が続いているわけではないかもしれない。


 サラダの日々というのは、血が冷たくなければ成り立たないので、考えてみれば、無分別な青二才という日本語の語感とはズレがあるように思える。原作を読んだのは考えてみれば、わたし自身のサラダの日々のころだから、思慮も分別もなくてキチンと理解できなかったのも無理はないとしても、クレオパトラが思春期以前のことを回想しているわけでないのは明らかだし、それ以後の時期は、血気さかんな時代だというのが一般的だと思うので、シェイクスピアの云う冷たい血は、カポーティのようなものということになるのかもしれない。


 読みなおしてみるのが良いように思える。思慮分別に欠けて、かつ冷血なら、若き女王にはぴったりかもしれないが、フツーの人間の青春時代には多く当てはまらないだろう。冷血を単に極端な自己中心主義というふうにとれば、良いのかもしれない。それなら、一般人の青春時代の形容としても成り立つ。


 告白すると、この言葉には、高校時代からの思い入れがあって、当時も同じ題名でなにか書いた記憶がある。内容はすっかりわすれてしまったが、高校に教生で来ていた教育学部の学生さんに、タイトルのミススペル(Salade days)を指摘されたのを記憶している。フランス語のスペルにある「e」はわざと入れたのだが、それならいっそ「mes jours de salade」とでもするべきだった。当時はフランス語を知らなかったので、それができなかったのだけれど、わかりやすさを心がけるべきだという思慮分別のある立場から云えば(とりあえず今はそういう年齢ではある)、勉強してでもそうするか、単に注釈を入れるべきだった(一応「salade」はイタリックにして区別はしたつもりだったが)。


 何を書いたのかは、本当に全く記憶に残っていないが、サラダのように青臭いものであることだけは確かなような気がする。『アメリカの鱒釣り』の二番煎じというところではないだろうか。村上春樹のデビュー前後、松田聖子で松本隆がブレークするよりも前のことだ。


 本当は、新サイト『サラダの日々』の構想を書こうと思ったのだけれど、思い出話になってしまった。でも当らずとも遠からず、ではある。思慮分別に欠けて、血が冷たい人たちにサラダの効能を説く、というのが主題だからだ。


 今はどうかしらないが、昔の高校生なんて、サラダには栄養(これをカロリーあるいはエネルギーと云いかえれば正解だが)はないから、あんまり食べないほうがいいと本気で信じていたりするお子様たちである(動脈硬化になっても知らないぞ)。逆にスーパーモデルにあこがれてサラダばかり食べたりもする(肥満はもちろん色々問題を引き起こす原因となりうるけれど、痩せた人間のほうが病気になりやすく死亡しやすいのは明白。普通なら22前後のBMIが、たとえ40を越えても寿命が10年縮まるだけだが、16以下になったら明日のいのちも危うくなってしまうのだから)。


 実際に自分が食べるものを自分で規定するようになる世代が重要であり、効果も高いはずだ。いくら教育は早いほうが良いと云っても、栄養素の概念を理解できなければ成り立たない。そのためには、代謝がわからないといけないし、からだが大きくなっていく理屈もわからないといけない。


 生存するための必要条件は、ことさら教育されなくても普段の生活の中で自然に身に付く。何万年ものあいだ特別な栄養教育なしに人間は生き延びてきた。現代でもとりあえず生存のための食生活ができない人間は、特別な施設や病院に収容される可能性が大きい。


 でも健康に長生きするためには、それだけでは足りないかもしれないということだ。ただし、クレオパトラは長生きしなかった。若き日々の彼女に考え直してもらうように、というのもそれなりに意味のあることかもしれない……


2006年03月16日

サラダの日々(承前)



 サラダの日々は、クレオパトラが二十歳の頃からの数年間を指していた。原作を読みなおしてわかった。シーザーとの恋愛時代のことを、アントニーと恋愛している現在から回想しているので、思慮分別もなく血もたぎることのなかった時代だと云っているわけだが、もちろんそれは事実ではなく、比較されている現在の気持ちを強調するための言葉である。


 アントニーとの不倫(アントニーは独身ではなかったから)は、クレオパトラが38才の頃と推定されている。


 というわけで、前回書いた推測はみな間違いで、血がつめたいと云うのは相対的なものに過ぎなかった。シーザーと一緒にローマに移り住み、シーザーの暗殺で終わった日々のことなのだから。


 言葉は重要である。最初に言葉があったかどうかは知らないけれど、言葉の故に物事が決まってしまうことが、ないわけではない。


 営養というのが、元々の漢語では正しくて(今でも中国語ではこの字が使われている)、栄養は、そういう文脈においてみれば、明かに間違いである。だが、思いの丈を伝えるためにわざと奇妙な言葉を使うという技法は一般的であり、この場合もその一例と考えられるだろう。身近な例で云えば、『リンクDEダイエット』は「リンクをたどってダイエットしよう」という意味ではなくて、栄養士のリンク(liens de la dietetique)を暗示している(つもりだった)。


 そのような文脈において、高校生大学生向けの栄養サイトを、『サラダの日々』と称することは、意味もあるし正当でもあるのではないか、ということである(ちょっと座りが悪いので、もっと良い言葉を捜しているのが本当のところだが)。


 すでにして、クレオパトラにもアントニーにも全く関係ない。


2006年03月18日

サラダの日々(休憩)



 手塚治虫は、1971年に、COMの存続が難しくなった後、そこで連載してきた『火の鳥』に短いエピソードを付け加えている。


 羽衣篇は一回限りの読みきり短編で、その後なかなか単行本に収録されなかった、原発問題に対する問題提起の作であって、中学生のわたしは、面白い浄瑠璃漫画くらいにしか思わなかったが、いくら自分の発行する雑誌でも、発表するのを躊躇うに吝かでないという内容だ。だれもがありそうだと思っていることなのだが、絶対に云ってはいけないことになっていた(ような気がする。チェルノブイリ以前のことだ)。


 翌月の『火の鳥』は、物語とは全く関係がない作者の心情吐露である。これはさらに入手困難になっていたが、この本に採録されているらしい(わたしは、この本は見ていない)。


 火の鳥が作者のライフワークと作者自身がとらえており、結末は自身の死に際して公開するという内容だった(35年も前のことなので、間違っていたらごめんなさい)。


 当時は虫プロの存続に忙殺されていた時期だろうから、その後の展開が全然異なっていたとしても、それはそれで仕方ないが、個人的には、『火の鳥』は、あの休憩で完結したと思っている。


 途中でCOMとは仲違いした石森章太郎も、『ジュン』や『009』で本領を発揮していた(が、その後は仮面ライダーに活路を見出して行った)し、萩尾望都の短編などを見ても、明らかにCOMは異質だったように思える(小学生にわかるように書くのと社会人に向けて書くのでは違いがあって当然で、萩尾望都も手塚治虫も、SFマガジンの連載では、SFマニアに向けて、さらにディープな内容になっている。『銀の三角』や『鳥人体系』がそうだ)。


 どんどんそれている。休憩ということで、そういえば昔、火の鳥の、という連想に過ぎない。火の鳥がギリシャ・ローマ篇から始まったことも(少女クラブ?版で、COM版とは大幅に異なる)一因かもしれない。でも、わたしは実はそちらも真面目には読んでいない、改めて考えると、手塚治虫の熱狂的な愛読者とはとても云えない一読者に過ぎない。


 COMコミックスの単行本になったキャプテン・ケン(昭和27年。まだ生まれてない)からアトムの最終回(『火星から帰ってきた男』。確か昭和44年だったはず。雑誌『少年』が休刊するので最終回になっただけで、アトムの物語は全く終わっていない。アニメの最終回のほうが、まだ最終回らしい体裁を整えている)を経て、『ブラックジャック』に至る少年漫画のほうよりは、『地球を呑む』や『きりひと讃歌』といった青年コミックや、作者自身がやけっぱちだったのかもしれない『やけっぱちのマリア』や『アポロの歌』『不思議なメルモ』のような性教育漫画を覚えている。もちろん、もっとも印象的だったのは『火の鳥』であり、あとは『陽だまりの樹』だろうか。


 もっとも、小学生の頃、アトムの光文社版(B5版でカラーの単行本があった)全巻を揃えていただけでなく、枕元に置かないと眠れない、文字通り枕頭の書だった時代があるので、あまり信用しないほうが良いだろう。鉄腕アトムはアサヒコミックス版も全巻揃えている(光文社版は捨てられてしまっていたからだ)。


 石森章太郎は、全集を揃えて、幽霊少女も兄ちゃん戦車も読み(どちらも生まれる前の作だ)、『ジュン』は箱入り単行本を買い、『009ノ1』も好きだったが、その後が続かない。『サブと市』も『ホテル』も『日本経済』もほとんど読んでいない。もちろん、仮面ライダーもキカイダーも、あるいは少女コミックでやってた『009』の続編も読んだことはない。


 王様と神様の違いなのだろうか。マーロウとシェイクスピアの違いなのかもしれないが、よくわからない。そういうことはもっと後の時代に決まるのだろう。


 実は、プルタルコスを読み返しているのだが、サラダの日々そのもののクレオパトラとカエサルの日々にまだ行き当たらない。


2006年03月19日

サラダの日々(アルファ版)



 アルファ版というのは、ソフトウェアが最初に外部に公開される版のことをさす。ただし、業者向けのもので、一般の人に公開されるのは、ベータ版、そして完成版になって市販されることになる。フリーウェアでは、アルファ、ベータとは言わずに、バージョン0.1から数字を増やしていくことが多い。


 実は、昨日ケーブルテレビで『小さな恋のメロディ』を放送していた。主演のマーク・レスターとトレイシー・ハイドは、撮影時には10才くらいだったはずで、ハリー・ポッターの第一作に主演した時のダニエル・ラドクリフとエマ・ワトソンと同じ。


 考えてみると、この年齢で駆け落ちというのは、どう考えても早熟に過ぎる。ハリー・ポッターにはお色気はほとんどなかったが、そっちのほうが自然である。『ロミオとジュリエット』、『フレンズ』といった思春期の恋愛映画が、60年代後半から70年代前半にかけていくつか作られたが、製作者の意図はともかく、この映画は、そういう恋愛映画に対する一種のアンチテーゼにさえなっている。


 つまり、幼稚園で、○○ちゃんが□□くんと結婚すると宣言した。みんなが暖かい微笑を返すのに反発した二人が、実際に駆け落ちを決行するという話なのだ(もちろん成功の見込みは絶対にない、ていうか成功しちゃったら二人のほうが困ってしまうだろう)。


 ということで、これは、サラダの日々のアルファ版ではないだろうか、というわけだが、ちょっと強引に過ぎるだろうか。公開当時の日本では、純粋なロマンスとして受け取り、だからこそヒットもしたのかもしれない(わたしもそう思っていた)が、純粋ではあってもロマンスではないというのが今の感想だ。


 しかし、健康食品からはどんどん離れてるな…


2006年03月22日

健康食品の最近の動向



などと、題名だけはものものしくても、現実には、マーケティングをしているわけでもないので、はなはだ怪しいことだけは、はじめにお断りしておく。


 この数年の間に、ビタミンのサプリメントは、大規模調査の結果を踏まえて、なかなか効果が見えにくいことが露見してしまった、と思しい。効果がないかどうかがわかったわけではないし、動物実験では効果は確かにあるらしいので、サプリメント以外にも生の野菜や炒めた野菜や茹でた野菜を食べる機会の多い人間を対象にすると、効果が見えにくくなるというか、少なくとも有意差という統計学的な指標での差異がでないということだ。


 ビタミンに関しては、そちらの専門家がもっと精細な議論をこれからもしてくれるだろう。


 で、他のサプリメントは、ということになるが、アガリクスのようなキノコ類に関しては、過去も現在も、一度として人間、特にがん患者が服用して効果があったという報告はしていないはずだ。科学論文としてはということだが。


 もともとインディオが食べていた、けれども欧米や日本の食生活には馴染まないのかどうか、実際に食べたことがないので判断できないキノコの効能が、シイタケ(これは日本人は美味しいと思って良く食べる)と少なく見積もっても同程度の効果しかないということが、PubMedのような医学文献のデータベースからは伺える。日本人もインディオも英語が苦手だと仮定して、だからPubMedの文献が少ないという仮定もできなくはない。


 他のキノコ、例えばマイタケの有功成分についての論文は確かにPubMedにも登録されているが、マイタケを食べた効果を調べたわけでないのは要約を読んだらすぐにわかることだ。


 キノコは、もともとエネルギー源としては役に立たないが、日本人はシイタケもマツタケも好き(アガリクスの日本名はヒメマツタケだ)なので、これが健康に良いとなればそこそこ売れるだろうということは、だれでも考えるだろう。考えること自体はいつでも有益なことだし、それが科学の発展要因でもあるが、証明できなければ無意味である。


 クロレラやスピルリナは、現地住民の食用だったとしても、他に食べるものがなければ食べたいとは思わないたぐいの藻類で、これもアガリクス同様、それを食べていた人間ががんに効くと思っていたかはかなり怪しい。それは外国ではほとんど飲まれない緑茶もそうだ。


 プロポリスにいたっては、古来食用に供されたという文献は極めて少なく、もっぱら外用薬の扱いだった。


 というわけで、この数年は、もっぱらもともと体内に存在する補酵素の類がクローズアップされている。


 αリポ酸、CoQ10、カルニチンである。ビタミンのようにヒトが合成することができない物質ではないので、もっぱら老化によって欠乏するということになっているが、そのこと自体どの程度の信憑性があるのかも疑わしい。合成が低下するのは事実としても、老化によって合成が少なくなるものなら他にもたくさんありそうである。


 ビタミンの場合にはもともと野菜を食べることで補っていたと考えられるので、食事で摂取することは自然だが、これらの補酵素の場合は、食事がどのていどの役割を担っていたかも、実はよくわかっていない。足りない分は体内の合成を高めるしかないのかもしれないが、そこまではっきり断言する論文も見たことはない。


 さらに、ラクトフェリンという母乳に含まれている物質がある。乳児には意味があるかもしれないが、この物質は、普通のヒトならだれでも、唾液中に分泌しているものである。尿中にもあるし、それでも足りないのなら、精液中にも、膣分泌液にも含まれている。それが本当に免疫的な機能を果たしているのかどうかは文献に譲るとしても、それらが老化によって欠乏するとは誰も言っていないし、証明はもちろん存在しない。


 乳児が腸管で役立てているというのが事実なら、それを期待するのも無意味ではないかもしれないが、そのまえに、ヒトは、その腸管にもラクトフェリンを分泌している事実は承知しておく必要がある。理屈としては、足りないものを補うという感覚なのだろう。ビタミンも同様である。それが有功に作用するかどうかは、その足りなさ加減にかかわるので、なかなか証明しにくいのも事実である。上に書いた補酵素も事情は似ている。


 まいにち1時間の散歩をすることが健康増進に役立つとして(これは論文がいくつもある)、健康食品を摂取することも同じように役立つと考えるかどうかは、難しい問題だ。


 論文がないことは、単にその証明が難しいことしか意味しないかもしれない。つまり本当は(あるいは服用している本人には)、効果があるのかもしれない。


 誤解してほしくないのは、確かにここに書いた食品(と云えるならばだが)に健康効果がないとはいえないのが実情だが、他のものと同様に、むやみにたくさん食べたら、効果どころか害になるというのは間違いなく真実である。


 塩は300グラム、砂糖は1キログラム、どんなものでも食べすぎれば死ぬ危険性を秘めている。医薬品は云うまでもない。運動だって同じことだ。


 健康食品のことばかり悪く云うようには思わないでもらいたいものだ。がんの特効薬のように喧伝されているとしても、医薬品でないなら、あるいは医薬品であるならなおさらのこと、多く飲めばいいわけでないことは、明らかなのだから(医薬品でなければ、安全性を個人で判断しなければならないし、上に書いたようにどんなものでも大量摂取は危険が伴う。医薬品なら、安全性について検証されているので摂取上限量は決まっているはずだし、医薬品には明らかな疾病治癒または予防効果があるという人体への影響が明らかなので、そのような「強い」効果には副作用もまた無視できないというのが用量作用曲線が当てはまる限りにおいては当然予想されるからである)。


2006年03月31日

第一期中期計画が終了



 そういえば、五年前の中期計画開始の年(21世紀の最初の年)も、4月1日が休日(日曜)だった記憶がある。あれから丸々五年が過ぎたというわけだ。


 過ぎてしまうと一瞬なのだが、今では当然のように毎日更新している『リンクDEダイエット最新健康栄養ニュース』は、まだ存在していなかった。栄養研のホームページは今とは全く異なっていた。


 何が一番変わったのかといえば、みんなのインターネットに対する意識だろう。昔、こんなことを好んでしているのはわたしのような物好きだけだったのだが、商売(というかなんていうのか、よくわからないもやもやしたもの)になると思うと、正規のルートでお墨付きをもらった有象無象が出現して、いつの間にか、自分の権威をさかんに宣伝するようになる。


 わたしの理解では、自分の権威を宣伝することくらいインターネット的でないものもないので、恥ずかしくてとてもできないことである(というくらいの宣伝は、対抗上しないと生きていけないのだが)。


 とりあえず五年は過ぎた。明日からは次の五年がはじまる。


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