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サラダの日々



 なにも予備知識がない状態では、これが生活習慣改善と結び付けられれば、単にサラダを食べる日々なのだと思うかもしれない。


 それが大半の人の感想(調べたわけではないので、間違っているかもしれない)だと思うと、これをサイトのメインタイトルにすることには躊躇してしてしまう。


 元来、サラダの日々というのは、salad daysの訳語であって、これはシェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』のクレオパトラの独白の中で使われている言葉である。サラダはフランス語(salade、フランス語では最後のeは通常発音しない)だったので、要するにダイエットの意味するものがdietとは相当異なっているのと、ある意味、同じ現象かもしれない(本来は塩を振りかけたものくらいの意味)。


 クレオパトラの青春時代が、ほんとうに思慮を欠く(green、つまり青臭い)けれども、血は冷たい(cold)という、サラダのようなもの(サラダは緑色をした冷たい食べものだ)だったかどうかはともかく、英語においては、これがハチャメチャな青春時代を表わす表現として定着したらしい。


 わたし自身が意図したのは、シェイクスピアの云うところのサラダの日々であって、ほんとうにサラダ(だけを)を食べる人間を想定はしていなかった。サラダはわたしも良く食べるし、それが健康寿命に与える効果も、おおむね信じていると云って良いのだけれども、いくら健康に良いと云っても、ヒトはサラダだけでは生きて行けない。サラダの定義にもよるが。


 想像でしかないが、若いクレオパトラは、生き方はサラダの日々的だったとしても、食生活は違ったと思う。規模は全く異なるにしても、首相のような立場(というか権力を実際に持っている王族そのもの)だったのだから。


 シェイクスピアに戻ると、サラダの日々の意味するところは、現在のサラダが意味するものとはかなり異なっていて、かなりエネルギッシュなものだという想定が成り立つ。まさに「無分別な青二才時代」という訳語の通りに、である。


 そのような前提があっての、サラダの日々なので、それをダイエットのためのサラダのように受け取られるのは、わたし自身の思いとはかけ離れている。


 二重の意味があるという前提での言葉の使用は、前提が崩れてしまえば、かえって無用の誤解を招くし、何の意味もなくなってしまうから、使いつづけるのは混乱を招くだけだ。


 そのような理由から、一般に公開しているサイトでは、『サラダの日々』は使えないでいる。このサイトのように露骨なネーミング(ダイエットエンパワメント)のほうが、誤解が少ない分ましだと思う。


 もっと面白い名前で、しかも奥行きの深いサイトがやがて現れるようになるだろうと期待はしている。そうでなくては先には進まない。


 わたし自身は、『サラダの日々』の可能性を、とりあえず追求していくしかないが、それを他人にされるのは迷惑だし、勝手にやってもらうようなことでもない。


 とはいえ、自分が作ったわけではない名称に固執するのは馬鹿げている。『リンクDEダイエット』のように、伝統的でも魅力的でもない名称(とはいえ自分で作ったとはいえる)に固執するほうがまだ理にかなっているとはいえるだろう。


 あるいは、『ダイエットエンパワメント:ビギナーズガイド』とか。


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2006年03月14日 00:00に投稿されたエントリーのページです。

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