えいようけんのこれからのごねん
国立健康・栄養研究所のホームページを新しくしました。
まだ中期目標や中期計画などの文書が古いままですが、順次掲載されるでしょう(でも前回は数ヶ月かかった)。
時間の関係で、全面的なリニューアルは間に合わなかったが、これも数ヶ月以内になんとかするつもり。
というわけで、リンクDEダイエットとEBISもよろしく
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国立健康・栄養研究所のホームページを新しくしました。
まだ中期目標や中期計画などの文書が古いままですが、順次掲載されるでしょう(でも前回は数ヶ月かかった)。
時間の関係で、全面的なリニューアルは間に合わなかったが、これも数ヶ月以内になんとかするつもり。
というわけで、リンクDEダイエットとEBISもよろしく
HATENAは、いろいろそろっているし、なにより自分でインストールしなくて良いのが気楽だが、栄研からのリンクが外部リンク扱いになるので、ランキングがいつまでも上がらない。
ランキングが上がらないと、アクセスも増えないので、まあ増えてもたいしたことはないが、面白くない。
なので、近いうちに、ここは撤退するような気がする。ひとりしかいないのだからいくつもの場所で文章を書くことにはかなり無理がある(オフ世界の文章もあるし)。『リンクDEダイエット』メインに復帰するセンがいちばん濃厚だが、一種の禁じ手として、まったく新しいドメイン、たとえばhttp://www.nihn.go.jp/なんてのも面白いかもしれない。このドメインはまだ存在しないけど。
メールシステムひとつ満足に動かせないプロバイダなんて、何の魅力もないし、いまどき丸一日システムを止めるプロバイダなんてないでしょ? 民間人が勤務する法人なのに、という新たに発生した問題もあって、このあたりは、単に(そのプロバイダが)予算を多くもらいたいという観点ではなく、真面目に考えてもらいたいものだ。
唐突だけど、衛試に同じ年に入所した同い年の男(彼は試験を受けて入り、わたしは単なる流動研究員、比較するのがそもそも間違っているね)が部長になったと聞いた。花束やってください。いや、彼の場合は座布団かな。
わたしは自分が追い出されたトラウマで、若い子たちに冷酷なビッグブラザーを演じ続けているかもしれない。三年を越えては雇用できない、とかなんとか。わたしが良心の呵責に耐えているのは、みんな三年以内に退職しているからだ。給料が安すぎるのだろう。
鬼ッコにしたのは、あんたがたじゃないか。という正論もあるだろうけど、わたしはむしろ感謝している。すんでのところで窒息するところだったよ、てなもんである。
給料は、これからなんとかしないといけないとしても。
#わたしには、こんな場所でさえ黒子に徹することが理解不能。ここの更新はわたしも自宅でやっているし、だからこそなんでも書いてしまえる。翌朝に削除することが多いのはそのためかもしれない。
一度アップしたものを変更するべきではないという理屈は印刷物の因習を踏襲しているだけで、ネットの書きこみは、どちらかといえば、井戸端のお喋りに近い。いちどは言ったくせにというのでは、発言は萎縮する。いくらでも変更ができるものを変更させない力というのは、なんなのだろうか(ただし、発言に返信がついた後は、勝手に変更するのはズルイと言われても仕方ない。ここで言っているのは、返事がない場合だけだ)。
田中哲弥著のハヤカワ文庫JA。本屋で平積みになっていたので、買ったのだが、まさかあじゃぱんの世界になろうとは予想もしなかった。
まだ半分しか読んでいないのだが、出身地から考えてこのまま終わるとも思えない。
楽しみではある。
最終話が完全なSFになっていて、解説によると「なんとか」辻褄を合わせたらしい。一読して理解できるほど単純ではないので、ゆっくり読めばわかるかもしれないが、ワインを飲みながらではとても無理な相談である。
とはいうものの、この連作短編はとてもよい。解説の大森望の絶賛もよくわかる。実際、この水準でコンスタントに作品を発表していれば、筒井康隆とまではいかないかもしれないが、カリスマ的存在にはなっただろう。すでにカリスマではあるのかもしれないが、最近のSF界の事情はまったく知らないので、よくはわからない。
萩尾望都の『銀の三角』と筒井康隆の『脱走と追跡のサンバ』を読んでから、本作品を読むのがオススメだ。解説者は本を買わせるために書くが、ここではそんな必要はないからだ。でも前のふたつは、時代劇ファンにはつまらないだろうな。
時代劇が好きなら、最近読んだ『牡丹燈篭』がとてもよかったが、わたしは基本的に時代小説は読まないのであまり信用されぬがよかろう。
機関車先生という映画をケーブルでやっていた。
声が出なくなっても、教育することもできるし、もちろん生きることができる。
五年前に、研究室の移動を命ぜられて、今の場所に引っ越してきた時は、それでも何週間かは必要だった。
それを3日でやれというのが理不尽でないとしたら、なんなのだろうか?
なんだか、もうどうでもよくなってきてしまった。先生のおっしゃること、ごもっとも、そのために何か変わるとしても、ごもっとも、いくらでもいってよ、なんでもごもっとも。の世界である。
もとが何語なのかわからないが、語尾のクーロから、英語、ドイツ語などのゲルマン系の言語ではなさそうである。語尾にオはまずつけないフランス語でもない。語尾にオがよくつく言語と云うことになると、わたしの知っている範囲では、日本語かスペイン語イタリア語あたりということになるだろう。
これは絵画の明暗の重なりのことを指すらしいので、そうなるとルネッサンス発祥の地イタリアの言語なのかもしれない。
もっとも、イタリア語とスペイン語は(フランス語も綴り通りに母音を省略したりせずに発音すれば、かなり似ている)ラテン語の変化したものとして、互いに良く似ている。うわさでは、イタリア語のナポリ方言などは、イタリア語というよりスペイン語と云って良いくらい似ているそうだが、わたしは良く知らないので、そういううわさもあるというに留める。
この言葉は、英語からの翻訳にカタカナ書きで出てきたもので、もとのスペルもわからないが、スクーロは、英語のスクロールと語源は同じように思える。とすると、キアロが明暗だろうか。時間があれば辞典で調べてみることにして、とにかく、キアロスクーロなのである(辞典で調べたら、キアロが明でスクーロが暗というイタリア語だった♪(((/。\≡/。ヽ))♪)。
ここで、著者のコンドルが述べている(『河鍋暁斎』岩波文庫青569‐1、2006年)ことは、日本画には陰影がないことは事実だが、描線によってそれを補っているというもので、これはそのまま日本のマンガに当てはまると思ったのだ。
実際、河鍋暁斎が書いたポンチ絵のたぐいを見れば、明らかにマンガの描線であり、ということは、逆にマンガは、彼の絵を下敷きにしたということなのだろう。
無表情が美人画の伝統と云われると、わたしがときどき使っている3Dソフトの人形の無表情がなんとなく受け入れられる理由がわかる気がしてきたが、3Dソフトは立体的に陰影をつける、いわゆるキアロスクーロがあり、だから欧米では違和感なく受け入れられる。
日本での普及がイマイチなのは、日本人は線描画の伝統から、陰影のない絵を好むあるいは慣れているということで、それがマンガだということになる。
ただ、アニメの製作がデジタル化されて3dの陰影をもった絵が従来の絵と共存して使われるようになっている現状もあって、いずれマンガ表現にも、そういうものが増えていくとは思う。
わたしは、自分の手では微妙な描線が引けないので、こういう傾向は大歓迎だが、一般化するにはまだ少し時間がかかるような気がする。
欧米のほうで、逆にアニメ化を進めている実情もあり、ひょっとしたら、このキアロスクーロのない日本的表現のほうが標準になるかもしれないし。そのためのソフトが整備されるなら、それはそれで良いことだろう。
岩波文庫を読んで、初めて河鍋暁斎が、マンガや怪奇絵の画家ではないことを知ったので、こんな感想はほとんど意味ない(大方のヒトにはたぶんもっと前からわかりきったことだったのではないか)だろう。
1 引越しをして来た一団は、その場所に以前から住み着いてる土着の住民に事前に知らせるようなことはしなかった。
2 たまたま通りかかった土着民の女性が、引越しプランらしきものが広げておいてあったので、眺めていると、そこに現れた引越し団の一味らしき女性が、ひったくるように持ち去った(つまり、言語的なコミュニケーションがなかった)。
3 日本人が愛して止まない伝統的な風習であるのか、戦後の混乱期に占領軍が持ちこんだものなのか、バブルのためなのか、その崩壊のためなのか、9.11のためなのか、よくわからないが、けっこう見かける光景ではある。
4 引越しの時にそばを食べたり御近所に配ったりするのは、食べ物の蕎麦と場所が近い側をかけたシャレであり、科学的な根拠を問うことに意味はない。世の中には、この意味がないということを、根拠がないから間違ったことというふうにしか考えられない人間がいるらしい。祈りの効果の科学的な根拠を問うことに意味がないのと同じことで、決して間違ってはいないのだ
5 正しい健康情報の読み方を教える啓蒙書に、祈りの効果のRCTを紹介するような人間の同類が一定数存在するらしいことから、間違ってはいないと云うことが理解できない人間が一定数存在するのも明白なように思える(同数とは云えない)。
6 蕎麦はおろか、越してきましたの挨拶もないのは、たぶん越してきた一団は日本語を話さない集団か、人間が比較的一般的に共有する習慣を理解できない(ということはそもそも人間ではないのかもしれない)集団かのどちらかなのだろう。
クロマニヨンとネアンデルタールは、今のゴリラとヒトとの共存のようなものだったという説がある。化石からみれば同じ進化系統樹の仲間だとしても、たとえば動物を狩るにしても、頭の使い方がまるで違うレベルだったので、一方は滅び、他方が残ったというものだ。
年々痛感するのだが、頭の悪い人間(つまりワタシのことだが)は、頭の良い人間の発想を理解することができない。わたしがわたしより優れていると思えるヒトは幾らでもいるので、日々これ劣等感に苛まれる。
ある元上司が、自分の子供にピアノを続けさせても才能ないのがわかっているのに、という愚痴をこぼした(あるいは自慢の一種だったかもしれない、というか、そうだったのだが、わたしは理解し損ねた)ので、わたしの子供の話をしたら、「でもkhirota1958の子供でしょう?」と一緒にいた元同僚と口を揃えて、しかも3回も繰り返して云われたことがあり、それはさすがに、そこまで断言してなんら恥じるところのない東大の卒業生を羨ましくも感じた。
それでも彼らは、元部下のわたしを姑息に出し抜こうとはしない。東京人の弱みかもしれないが、それは神奈川出身のわたしにも多かれ少なかれある弱みである。
そういう弱みにつけ込むことさえ何ら恥じるところがないどころか、積極的にマスメディアを通じて煽っている地方もある。いや、さすがにそれは言いすぎか。よそ者には理解できない単なるお笑いのひとつなのだろう。
がさつで下品であることを選べるのは強い証拠だ。わたしはそれを賞賛して止まない。それは皮肉ではなく。
電磁波の恐怖といえば、廣島・長崎の原爆(つまり放射線)であり、真夏の紫外線によるDNAの損傷(実際、分子が壊れる)であり、強烈なサーチライトを見つめて視力が落ちることであり、赤外線コタツで異常な暑さを感じたりすることであるかもしれないが、最近の恐怖は、一味違う。
一味と言うか、周波数がもっとずっと低いのだ。低ければ低いほど恐怖であるらしい。一番問題になるのは送電線であり、50ヘルツで小児がんのリスクが二倍になるというもの。
携帯電話で心臓ペースメーカーが誤作動というのは、事実として報告されているが、ヒトはペースメーカーではない。通常ヒトは体内にも体外にもペースメーカーのような機械をつけていないのだが。
電磁波なびというサイトをみつけたが、このサイトとても面白い。電磁波の人体への影響というサイトも国立環境研究所の一部のようだが、同様に極めて興味深い。
簡単に言うなら、あなたは今日テレビを見るだろうし携帯で電話もするかもしれない、電子レンジでチンするかもしれないが、その恩恵をあなたに与えている電気が諸悪の根源かもしれないと云っている。
こういうサイトをインターネットで検索できること自体奇跡のなせる技以外のなにものではないのは明白だ。だって、それほど電磁波を恐がっている人々が、電気(というか送電線)がなければ存在できないインターネットを利用して恥じないのだから(自家発電の方には謝ります)。わたしは、恥じないわけないと(勝手に)思ったので、ここで検索できるのは、奇跡なのだろうと(これも勝手に)思ったのである。
自分一人が止めても関係ないと云うのが事実だろうと、わたしも思うけど、自分のせいで、どこか送電線の近くに住んでいる子が一人、また一人とがんになっていくと(本当に)思っているなら、まず自分が電気を使うことを止める。
これほど明確な因果関係もないのに、どうしてインターネットで電磁波の悪影響を糾弾することができるのだろうか。
恐るべし、電磁波!
と云えば良く聞こえるかもしれないが、単に地下一階の実験室から、三階の元部長室に移動するだけのことだ。元であって、これからはサーバ室になるのである。
もともとわかりきっていたことをここで論ってもしかたないので、事実関係のみ書いておくけど、今現在わたしの研究所の所内のメーリングリストは使えなくなっている。最近の変化というのは、サーバの置かれている部屋に、何の前触れもなく多量の荷物が運び込まれたことだけなので、因果関係を疑っても良いのだが、そんなことをいってもしかたない。もうひとつの変化というのは、12台のコンピュータがサーバの隣(同じハブを共有している)に移動してきたということだけなので、因果関係を疑っても良いのだが、そんなことをいってもしかたない。さらなる変化というのは、そんなに多数のコンピュータを移動した結果、セグメント内のIPアドレスが満杯になってしまったということだけなので、因果関係を疑っても良いのだが、そんなことをいってもしかたない。
仏典のような云い方をするとそういうことになるだろうか?
次なる変化というのは、サーバだけでなく、なにもかも移動しろという圧力に屈して、サーバそのものを移動したことだけなので、因果関係を疑っても良いのだが、そんなことをいってもしかたない。
いや、それはウソ。メーリングリストが機能不全に陥り、原因はわからず、どうせ移動はしなければならない(わたしが要請を拒むことはまずありえない)のだから、ついでに移動もしてしまおうとしただけのことである。
以下は単なるうわさなので、適当に読み流してほしい。
最近の変化というのは、方忌(かたいみ)の方角から凶日(きょうにち)を選んで移動をしてきたので、サーバにのろいがかかってしまったというものだ。因果関係を疑うどころか、そのままだが、そんなことをいってもしかたない(女子の間ではもっとも人気が高いうわさである。面白さなら)。
最近の変化というのは、雌狐にたぶらかされたルナールが、理不尽だが押しつける(良くある話だ)ことをしたので、サーバが駄々をこねたというものだ。因果関係そのままじゃん。そんなことをいってもしかたない。
だれでも上司の命令には従う。直接の上司ではなくても、上層部であることが明らかなら従う。従った結果が予測できない不測の事態というものであったなら、別に誰にも責任はない。
因果関係はどうでもよいが、どうしてメーリングリストが動かなくなってしまったのか? わたしの推測は、セグメントのIPをすべて使いきってしまったことに直接ではないだろうが原因があると考えている。
壁がほしければ、妥協案はなしで壁。12台移したければ(無理があることは事前にT先生に聞かれた時に伝えた)、そのとおりにする。
どうでもいいです。メーリングリストが永遠になくならないと良いですね。