というわけで、昨日は、周産期栄養学があり小児栄養学があり、それらをひっくるめて人間栄養学だ、人間だ、と主張する理屈は、ほとんどそのすべてが人間社会のため、人間が暮らしやすくなるための工学に「人間」を付加する理屈と同じではないかと述べた。
工学というものが、人間を無視しているという観点からの警鐘の意味があったのかどうか、この言葉が広く使われるようになった70年代にはわたしも生きていたはずだが、知る由もない。
ウィキペディアの説明が正しいかどうかは判定できないにしても、文中にある心理学的側面というのがポイントかもしれない。もともとエルゴノミクスはエンジニアリングとは全く異なる単語だから、それが工学であることは日本人には自明ではあっても、なんと呼ぶべきか議論があったことは想像に難くない。
前述のように、工学技術は、すべてヒトに合わせて作られている。クマの曲芸用の踏み台やライオンの火の環潜りの環をふくめて(サーカスで客が喜ぶように設計されているのだから。そもそもクマもライオンもそんなものは存在しないほうがうれしいのではないだろうか)、そういう意味では、ヒトのための工学であり、それ以外にはありえない(ラットの給水瓶というようなものもあるが、それは例外に属するだろう)。
蛇足だが、ロボット工学の三原則を御存知だろうか? SF作家のアイザック・アシモフが、編集者キャンベルの助言に従って作り出したということになっている。アシモフのロボットものにはかかせない三原則だが、ロボットについての工学という意味で、ロケット工学と同じつくりの造語であり、決してロボットの立場に立脚した工学ではない。これを人間工学と同じつくりの造語にできれば、アシモフはサイバーパンクのさきがけにもなったかもしれないが、はたしてそんなことが可能だっただろうか?
1 ロボットは自己を守らなければならない。
2 ロボットは、人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
3 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。ただし、あたえられた命令が、第一条および第二条に反する場合は、この限りでない。
実際のロボットの三原則では、人間に危害を加えないのがもっとも根本的な原則だ。ロボットはヒトのために作られた道具なのだから当然である。でもロボットが自意識を持つとしたら? チャペックの戯曲『R.U.R』は、ロボットの語源になったそもそもの作品だが、当然のこととして、そのような高い技能を代行できる存在の自意識が主題になっている。つまり、ロボットは反乱を起こし、ヒトを殺してしまうのである。
そんな自明のことを未然に防いで物語を紡ぎ出すのが編集者であり、できればそれに騙されないのが良い読者ということになるだろうか。
自分でなにかを見つけるというのは貴重なことだ。見つけたものをだれかれなく喧伝してあっぱれなヒトもいる。わたしはとてもついていけないことも多い。判断を自分でするという当たり前のことが励行できるなら良いのだけれど。