世の中には、ヒトの状態を変化させるための様々な方法が提案されているが、ひとつとして完全なものはない、というのは多分に真実だろう。
他人の言葉を素直に受け取っていてはダメなのだ。
もちろん、初学者、あるいはズブの素人であれば、まず最初は、基本をそっくり真似ることから出発して、修正を加えていくのが普通である。
普通というのは、研究をする場合の一般論としてということであって、最高レベルの研究をされている先生方には当てはまらないと思う。というのは、彼らは最初から独自な存在であるようにも思えるからだが、そんな推測をしていても仕方ない。ふつうのヒトとして、ふつうはこういうふうにやったらと勧められることも多いだろうし、何もわからない状態では、論文を読んで再現してみるくらいしかアイデアがないことも多いだろう、といういたって凡庸な演繹の結果、そのような結論に辿りついた。
というか、要するにわたしはそうだったのだ、ということである。
しかし、自己弁護にしかならないかもしれないが、最初は真似でしかたないとして、なにか本格的な研究(これもなにが本格的なのか議論の余地があるが)を一人でできる、一応一人前という段階になるころには、真似というわけにはいかない。それなりに変更が加えられているはずであって、それも経験的には普通の過程だと思える。
それは研究に限ったことではないだろう。
わたしは、実践的に、例えば薬局で薬剤師をやったことはないし、もちろん栄養指導の経験もないので、実際のところは想像するしかないのだが、実践活動においても、同じような過程が存在するのではないかと思う。
そして、ここからが本題になるのだが、単に実践活動をするのではなくて、それを研究的に、つまりより効果的な実践活動の開発といった目的が存在する場合、変化の度合いがもっとも大きくなるのではないだろうか?
研究の分野では、自分の目的にかなう総説を見つけてしまったら、そのテーマのもっとも素朴な部分はすでにかなり検討されてしまっていることを意味する。いまどきDNAの基本構造がどうなっているか、どうやってアミノ酸の配列を保持しているのか、を探求する意味はほとんどないように思える、ということだ(皆無ではないし、そこから幾多の天才が出現する)。
同じような推論で、実践分野でも、マニュアルが出版されていたら、そこには研究価値はないのではないのだろうか。きわめて大雑把な話としてではあるが、マニュアルがまったくない分野よりもマニュアルがある分野は、それがどれほどずさんなマニュアルでも、恐らく「ない」分野よりも成立が古い可能性が高いし、マニュアルを書くだけのノウハウの蓄積、書ける人材がいるということで、(新奇な研究活動の)将来性という点では逆にかなり減点されるに違いないからだ。
まあ、あまりにも当たり前のことなので、なにをいまさら、ではある。
最近、知り合いの水泳コーチから、同業者があちこちのブログをパクって自分の文章としてほぼ(98%くらい? デスノートの読みすぎ?^^;)そのまま掲載し、出典も何も書かずにいるという話を聞いた。いくらなんでも、コピーはすぐばれるだろうし失脚の危険を犯してまでする行為ではないから、半信半疑だったのだが、実際にそのブログを見たら、まあこれがものの見事にコピーだったりするんだよな、あきれるほどに。
立派な(?)盗作であって、明かに犯罪である。ただ、教えてくれたコーチやわたしが告発しても無意味(犯罪は基本的にはされたヒトとしたヒトの問題だから)なので、今のところどこにもチクったりはしていないが、盗まれた本人が知ったらそうもいかないだろう(話がそれるが、HFNETの健康食品素材の説明文を丸ごとコピーしているサイトが複数あることは関係者はみんな認識しているが、現状では無視しているのは、宣伝には使われていない(かえって売れなくなるくらいきついことしか書いていないから)ので元々の趣旨に反しないから、である)。
正直な話、こんなのは水泳コーチの世界だけのことだと思っていたのだ(すみません)。研究者は違うと漠然と思っていたわけ。そんなことあるわけないじゃん。と。でも、水泳コーチだろうが栄養学者だろうが、このウェブ全盛の時代には関係ないようだ。ウィニーに象徴されるように、いくらでもオリジナルと同じコピーが作られる時代。
少し前のことだけど、管理栄養士でもある研究員が、ウェブからコピーしてはいけないはずの素材を使ってプレゼンをしていたので、注意したことがあって、そのとき、管理栄養士は栄養指導の媒体を作るために、既存の本その他著作物を、いかにうまく切り貼りするかというノウハウを教えられるらしいということを知った。
それは、実際的なやりくり、現場の知恵としては正解かもしれないが、まず第一に、既存の著作物は参考にとどめ、1行以上の無断引用をしない、図表はすべて書きなおす、第二に、どうしても引用するなら出典の明記が必要(同時に量が多い場合、図表の場合は、原著者への許可を求める)。という、他人の作ったものをどうやって利用するかという基本が無視されてしまっている。
第一に:自分の言葉で語ろう。もちろん参考書も必要だけれど…。パワポで入力する時には参考書は閉じておくように努力しよう。
第二に:そうしたとしても、頭の中にもうすっかりこびりついてしまっていて、どうみても真似にしか見えないのであれば、きちんと出典あるいは参考文献として資料のどこかに書いておきましょう。心の片隅に書いていますなんて言うのは不可です。
こんなだれもみていないような場所でも、書いている自分はこの場所が自分の場所だと知っている。どうして他人の文章をコピーしてこられるのか、実は全然理解不能。同じように、他人の前で、どこかの教科書をそっくりコピーして、わたしの新しい研究として、というのも理解不能。
本当に理解不能だと思うのは、他人の書いた文章はぜんぜん自分と違うから、そんなものをコピーしたら、自分のサイトとは思えなくなるのに、全篇すべて他人の文章でもOKという感覚。これはほんとうにわかりません。