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2006年06月 アーカイブ

2006年06月04日

思い出して苦笑い



というのって、ありますよね。


 古いメールを検索していて、一年半前の第三種接近遭遇を見つけて、思わずにがーい思い出がこみ上げてきました。


 大した技術力もない(ウェブに関してということです。ソフトウェア開発の会社だし、それなりの技術はあるはず。「でもしかウェブ業者」というのですが、教師と一緒で最低ランクが普通)のに、恰幅がいいものだから、堂々と出鱈目を主張してくるという、一番困ったタイプ。どうして一番かというと、わたしはこういうヒトが横にいると、いかにも自信なさげ(実際ないんだからしかたないけど)で、まずわたしの主張の正当性は受け入れてもらえない。相手は相手で、40年も人間社会で生きていれば、強気強気でたいていは誤魔化せることを実感しているし、それがわたしのような人物の横だと特に見栄えがすることを充分承知しているので、立て板に水という感じになって、ますますわたしの印象は悪くなる。


 そういうかんじにでたらめばかりをベラベラと小一時間ばかりもまくし立てて去っていく。


 先々週のことですが、わたしの新しい提案について、その「でもしかウェブ業者」の代表取締役の話を直接聞いたさる先生が、あれはアブナイそうだと耳打ちしたとかで、受け入れられなかったというエピソードがあります。


 アブナイのは確かに事実なんだけど、「でもしかウェブ業者」の代表取締役の話はまるきり出鱈目に近い、というか、言っている本人が言葉を良く理解していないと言う最悪のケース。


 聞かされている担当者がたまたま同じ水準だったりすると、そのレベルで話がとんとん拍子に進んでしまう、という。


 いやいくらなんでも「まさか」だよね。


 「でもしかウェブ業者」の代表取締役に嫌気がさして、しばらくその手の仕事は敬遠していた(というのは、「でもしかウェブ業者」の代表取締役と人々が、とんとんとん、とかとんとん。だ、そうな…


 マンガ日本昔話ですか?


 いや。


 業者と話をすれば、するほど、「でもしかウェブ業者」の多いのに驚かされます。立場的にはそういう業者を見極めるというのがたぶんお給料の意味なんだろうけど、ほんとうのウェブを構築するためには、「でもしかウェブ業者」の代表取締役のような豚の餌にもならない存在がなくならなければどうにもならないのかもしれない。


 とういわけで、やっと本題に近づいた。豚です。「でもしかウェブ業者」の代表取締役がとても*だという意味ではありませんよ。デンマークに行って豚の食肉工場を見学してきたのです。


 でももう紙数がつきました(わけないけど、時間たってつかれました)。      (以下次号)


2006年06月06日

賞味期限切れの原稿



 以前本家でやっていたMovableTypeのブログがだいぶ前からサーバの移動でアクセスできなくなっていたので、ここに移してみました。日記に近いものなので、今更読んでもあまり意味はないと思うけど、意外と変化していないものも多いので、それなりに意味あるかもしれません。2005年のほぼ1年間は、浮気して別のブログを書いていたけど、この時期のものは読み返すのがつらいほど荒んでいるので、たぶんずっと失われたままでしょう。


 なにもかも失われたままになるのが良いのかもしれません。


2006年06月08日

研究と実践のあいだ



 世の中には、ヒトの状態を変化させるための様々な方法が提案されているが、ひとつとして完全なものはない、というのは多分に真実だろう。


 他人の言葉を素直に受け取っていてはダメなのだ。


 もちろん、初学者、あるいはズブの素人であれば、まず最初は、基本をそっくり真似ることから出発して、修正を加えていくのが普通である。


 普通というのは、研究をする場合の一般論としてということであって、最高レベルの研究をされている先生方には当てはまらないと思う。というのは、彼らは最初から独自な存在であるようにも思えるからだが、そんな推測をしていても仕方ない。ふつうのヒトとして、ふつうはこういうふうにやったらと勧められることも多いだろうし、何もわからない状態では、論文を読んで再現してみるくらいしかアイデアがないことも多いだろう、といういたって凡庸な演繹の結果、そのような結論に辿りついた。


 というか、要するにわたしはそうだったのだ、ということである。


 しかし、自己弁護にしかならないかもしれないが、最初は真似でしかたないとして、なにか本格的な研究(これもなにが本格的なのか議論の余地があるが)を一人でできる、一応一人前という段階になるころには、真似というわけにはいかない。それなりに変更が加えられているはずであって、それも経験的には普通の過程だと思える。


 それは研究に限ったことではないだろう。


 わたしは、実践的に、例えば薬局で薬剤師をやったことはないし、もちろん栄養指導の経験もないので、実際のところは想像するしかないのだが、実践活動においても、同じような過程が存在するのではないかと思う。


 そして、ここからが本題になるのだが、単に実践活動をするのではなくて、それを研究的に、つまりより効果的な実践活動の開発といった目的が存在する場合、変化の度合いがもっとも大きくなるのではないだろうか?


 研究の分野では、自分の目的にかなう総説を見つけてしまったら、そのテーマのもっとも素朴な部分はすでにかなり検討されてしまっていることを意味する。いまどきDNAの基本構造がどうなっているか、どうやってアミノ酸の配列を保持しているのか、を探求する意味はほとんどないように思える、ということだ(皆無ではないし、そこから幾多の天才が出現する)。


 同じような推論で、実践分野でも、マニュアルが出版されていたら、そこには研究価値はないのではないのだろうか。きわめて大雑把な話としてではあるが、マニュアルがまったくない分野よりもマニュアルがある分野は、それがどれほどずさんなマニュアルでも、恐らく「ない」分野よりも成立が古い可能性が高いし、マニュアルを書くだけのノウハウの蓄積、書ける人材がいるということで、(新奇な研究活動の)将来性という点では逆にかなり減点されるに違いないからだ。


 まあ、あまりにも当たり前のことなので、なにをいまさら、ではある。


 最近、知り合いの水泳コーチから、同業者があちこちのブログをパクって自分の文章としてほぼ(98%くらい? デスノートの読みすぎ?^^;)そのまま掲載し、出典も何も書かずにいるという話を聞いた。いくらなんでも、コピーはすぐばれるだろうし失脚の危険を犯してまでする行為ではないから、半信半疑だったのだが、実際にそのブログを見たら、まあこれがものの見事にコピーだったりするんだよな、あきれるほどに。


 立派な(?)盗作であって、明かに犯罪である。ただ、教えてくれたコーチやわたしが告発しても無意味(犯罪は基本的にはされたヒトとしたヒトの問題だから)なので、今のところどこにもチクったりはしていないが、盗まれた本人が知ったらそうもいかないだろう(話がそれるが、HFNETの健康食品素材の説明文を丸ごとコピーしているサイトが複数あることは関係者はみんな認識しているが、現状では無視しているのは、宣伝には使われていない(かえって売れなくなるくらいきついことしか書いていないから)ので元々の趣旨に反しないから、である)。


 正直な話、こんなのは水泳コーチの世界だけのことだと思っていたのだ(すみません)。研究者は違うと漠然と思っていたわけ。そんなことあるわけないじゃん。と。でも、水泳コーチだろうが栄養学者だろうが、このウェブ全盛の時代には関係ないようだ。ウィニーに象徴されるように、いくらでもオリジナルと同じコピーが作られる時代。


 少し前のことだけど、管理栄養士でもある研究員が、ウェブからコピーしてはいけないはずの素材を使ってプレゼンをしていたので、注意したことがあって、そのとき、管理栄養士は栄養指導の媒体を作るために、既存の本その他著作物を、いかにうまく切り貼りするかというノウハウを教えられるらしいということを知った。


 それは、実際的なやりくり、現場の知恵としては正解かもしれないが、まず第一に、既存の著作物は参考にとどめ、1行以上の無断引用をしない、図表はすべて書きなおす、第二に、どうしても引用するなら出典の明記が必要(同時に量が多い場合、図表の場合は、原著者への許可を求める)。という、他人の作ったものをどうやって利用するかという基本が無視されてしまっている。


第一に:自分の言葉で語ろう。もちろん参考書も必要だけれど…。パワポで入力する時には参考書は閉じておくように努力しよう。


第二に:そうしたとしても、頭の中にもうすっかりこびりついてしまっていて、どうみても真似にしか見えないのであれば、きちんと出典あるいは参考文献として資料のどこかに書いておきましょう。心の片隅に書いていますなんて言うのは不可です。


 こんなだれもみていないような場所でも、書いている自分はこの場所が自分の場所だと知っている。どうして他人の文章をコピーしてこられるのか、実は全然理解不能。同じように、他人の前で、どこかの教科書をそっくりコピーして、わたしの新しい研究として、というのも理解不能。


 本当に理解不能だと思うのは、他人の書いた文章はぜんぜん自分と違うから、そんなものをコピーしたら、自分のサイトとは思えなくなるのに、全篇すべて他人の文章でもOKという感覚。これはほんとうにわかりません。


2006年06月14日

ダイエットエンパワメント再考



 とかいておいていきなりだが、全然違う話題。BBCの健康ニュースによると、オーストラリアの女医ヘレン・オコーネル先生は、陰核の解剖学的な位置付けを見直すべきだと主張されているらしい。それは丘ではなくて山なのだという(再考つながりです)。


 ちなみに、ドイツ人は、標高1,000mの実際にどこからみてもわたしには山にしか見えない地形(だってそこにはスキー場もあるのだ)を丘(hill)だと主張して譲らなかったりするので、hillとmountainの違いはよくわからない。


 で、本題である。


 栄養教育において、ダイエットエンパワメントというものが必要だというのがこのページの根本理念であるが、もちろんダイエットエンパワメントは定義された一般的な用語ではないので、なんのことだかわからないと思う。すでにここかどこかで使ったことのある用語で説明するならば、それは栄養クレオール主義の一部として、フレイレの教育学や米国学校図書館協会のリテラシー教育、コロラド州の健康リテラシーなどを取り入れたものである。


 これでも既に理解不能だろうが、さらに最近わたしは、これらを一言で要約できる熟語を思いつき、さらにダイエットエンパワメントの強力な方法論も思いついた。さすがにここでそれをいっても混乱の度合いを増すだけなので、やめておくが、結局「ダイエットエンパワメント」はそういうものであって、それ以上でも以下でもないものだ。


 そのためのマニュアルは頭の中にしか存在しないので、それを検証した論文などあるはずもない。ということは、これを検証する仕事は「研究」だということである。


 もちろん、その研究がうまくいかない可能性は大きい。実際に研究をしている人はうまくいかないことが大半であることを実感として理解していると思う。そもそもうまくいくいかない以前に、それを実証できる方法があるかどうかもわからないのだから。


 健康信念モデルとエンパワメント教育を組み合わせて、「それをインターネットで実現する」というのは、カッコ書きの部分が明らかに新しい研究ではあった。20世紀には、ね。今はもう商業ベースのサイトが、日本にも、いくらでもある。今でも無意味ではないが、それは研究として新奇な知見を生み出す可能性が皆無ではないというだけの理由で、特に期待されているわけではないと思う。


 それでも10年来なにも変わらない(というか悪い方向にだけ変わる)サイトというものが現実に存在している。Googleは、単に更新されているだけでそれを良いサイトとみなしてしまう。こんなこと指摘して、改良されたら死活問題というヒトも存在するかもしれないので、このへんでやめておく。


2006年06月16日

どこかにいいひといませんか



 いいひとは、いまもわたしの周りにはたくさんいるし、他の場所にもいる。そんなことは誰にでもわかりきったことだ。日本人には説明の必要もないことだが、これは求人やお見合いの相手を探しているヒトの決まり文句であって、いいひとがいない嘆きとは無関係である(多分)。


 実は、わたしはいいひとを探しているのだが、これは今居るいいひとがいなくなってしまうからである。いいひとがいなくなってしまう職場(あるいは家庭)というのは、よくないひとが多くいる場所かもしれないが、今回は、いなくなってしまうひとは、ニューヨークの大学院に9月から通うので、ここには来られなくなるというのが退職の理由だから、よくないひとが多いからではないと思いたい(もちろんわたしはいいひとであるが、そういうひとが一番あやしいのもよくあるはなしだ。よく確かめてからのほうがいいだろう)。


 冗談はさておき(冗談ですよ、もちろん)、英語の情報を探すヒト、ホームページを作るヒト、栄養社会学を実践するヒト、どれかひとつでも得意分野がある方を、本当に募集しているのです。




急募 技術補助員若干名。


独立行政法人 国立健康・栄養研究所 情報センター IT支援プロジェクト(リーダー・廣田晃一)


勤務地:厚生労働省戸山庁舎内(東京メトロ東西線早稲田駅下車徒歩8分)




 採用は7月1日以降、事務処理の可能なもっとも早い日付で、時給はだいだい1000円前後です。週5日勤務で、朝9時から夕方は5時半(8時間勤務)。通勤手当は別に支給。住宅手当はなし。社会保険はあり。ボーナスはなし。残業は何時間でもOK。一人暮らしの独身者は、別に主たる収入(株とか不動産とか)がない限り生活していけないだろうということはお断りしておきます。


 希望する方は、khirota@nih.go.jpまでメールをください。電話(03-3203-5722)でもかまいません。


2006年06月25日

リンクDEダイエット



 はじめは国立健康・栄養研究所のデータベース計画の一環だった。98年ごろはまだGoogle以前の世界だったので、誰もがきちんと検索できるシステムを求めていた。栄養学に関してだけでもきちんとした情報を得られるようなサイトをと考えて細々と立ち上げたサイトだった。その後、Googleが普及して、わたしはリンク集の更新をやめてしまったが、それ以前の世界では、まだそれなりの存在意義があった。実際、業界紙やマスコミの取材を受けたことさえある。


 更新をやめてから、もう5年近くが過ぎた。Googleの優位性は、他のほとんどの検索エンジンを壊滅状態に追い込んだことからあきらかだが、しだいにその欠点も見えてきた(詳細は触れない)。


 最近になって遅まきながら気付いたのは、ウェブの世界にはきわめて高品質かつ信頼性の高いデータベースが既に存在しているということだ。それはPubMedという米国の国立医学図書館のサービスで、文字通り最新の医学情報にアクセスすることができる。医学生物学分野の研究者ならだれでもこのサービスを日常的に利用しているし、それはわたし自身も例外ではない。


 気付いたというのは、それがおかしな情報を、つまり研究者の目から見てということだが、流しているサイトの作者にも容易にアクセスが可能だという事実である。英語だからということで敬遠されるということは明らかだったが、それ以前にPubMedが信頼するに足る(足らないものもあるが、それは今は措く)情報であることさえ一般には知られていないという事実には全く気付かなかったというわけだ。


 まったく同じインターネット(というのはそれはひとつしかないから)に共存するふたつの異なる聴衆が存在するという事実。わたしは、健康食品業者の目を覆いたくなるような記述に辟易していたにもかかわらず、業者がPubMedを見れば良いとは思いつかなかった。


 気が付けば簡単な話で、すべからく健康食品の宣伝をしようと志すもの、かならずやPubMedに通暁すべし、ということにつきる。


 わたし自身の個人的な問題としては、さて、どうやったら可能なのか、ということ。EBISはひとつの解ではあるが、なかなか更新できないでいるのが心苦しい。


へびのあし



 ぜんぜん関係ないのだけれど、世の中には、http://www.nihn.go.jp/というサイトが存在することをご存知ですか? これもやっているのはわたし、というか栄養研で、それはnihnが、National Institute of Health and Nutritionの略称であることから明らか(go.jpドメインは登記簿などの証明がないと取れなくなっている)ですが、いまのところどこからもリンクは張っていない。張らないとGoogleに登録されないのだけれどね。数ヶ月あるいは数年後にはまた状況が変わるでしょう。PubMedとは全然関係ありません。


2006年06月27日

過去への旅路 by Neil Young



 クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング。通称CSNY。太田裕美の歌(君と歩いた青春)にもシイエスエヌワイ聞きだしてから…という歌詞がある。


 ニール・ヤングの出発点はもう少し前で、CSNYのスティルスが一緒だったバッファロー・スプリングフィールドが、米国デビューだったかもしれない。もともとはカナダ出身らしい。


 過去への旅路というのは、同名の映画に付けられた曲をまとめたアルバムだったように記憶しているが、文字通りのサウンドトラックも存在して、いまタイトルが思い出せないが、そのアルバムで僕はバッファロー・スプリングフィールドを初めて聞いた。むかしのLPを見ればわかるのだが、実家(でも実家というのは嫁入りした女性が生家をさす言葉だったはずだ。男性は今住んでいるのが実家であり、生まれ育った家は生家であるような気がする)にあるのだ。


 Googleはこういうときにはとても重宝する。Time Fades Awayというのが、歌詞の中に"Journey through the past"とでてくるライブ盤(新曲ばかりで会場の反応がまばら)のタイトルで、未公開の映画のサントラは『過去への旅路』だが、どちらも日本版のCDは存在しないらしい。


 75年ごろジャズの好きな自治委員とかがクラスにいた。私はニール・ヤングも好きだがタンジェリン・ドリームも好きで、しかもデューク・エリントン、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーンも結構好きだったので、話が合うはずもない。自治委員というのはいわゆる学級委員のことだから、話がかみ合うと思うこと自体が間違いで、それは幼稚園から今に至るまで変わらない。もっとも、間違いだと思うようになったのは大学を出てだいぶたってからのことだ。それから過去を振り返って、「そういえば…」と思い出したのである。


 幼稚園の「ぜんたちゃん」ともうひとり(ごめんね、ぜんたちゃんは副将できみがボスだったのに、どうしてもおもいだせない)をはじめとして、小学校の神山くん、中学校の竹内くん、高校の田中くん(たぶん)に至るまで。


 まてよ。私はなにを書こうとしているのだろうか? そんなにむかしにもどるつもりはなかった。2003年の年も押迫った頃のことを書こうとしていたのであるが、夜も更けた。続きはいずれまた。


2006年06月29日

折れた矢



 前項からの続きで、タイトルはバッファロー・スプリングフィールドの曲から。わたしは既に書いたように、オリジナルではなくて、過去への旅路のサントラ盤しか知らない。ニールヤングの悲しげな歌声が印象的だが、一般的には『ミスターソウル』というロックンロール・ナンバーのほうが評価されているらしい。過去への旅路では、二つがメドレーでつながっていたはず…


 いちご白書でも使われていたニールヤングは、すべてが傑作かもしれないが、繰り返して聞いてみたいと思えない曲も皆無ではない。そもそも、もう30年も新譜を買っていないのだから、ほとんど知らない部類に入るのではないだろうか。ZumaとかComes a timeとか、そのあたりまでだ。


"Time Fades Away" 以降は、あまり聞く気もしなくなったというのは、当時の正直な感想だった。まとまっていて佳作が多い、『アフターザゴールドラッシュ』と『ハーベスト』がやはり双璧をなすが、一番よく聞いたのは、セカンドアルバム収録の、"Cowgirl in the sand" だったりする。やたらに長いギターソロのせいかもしれない。いちばんよくきいたピンクフロイドが『ウマグマ』か『雲の影』で、いちばんよくきいたタンジェリンドリームが『リコシェ』と書けば、全部知っている人にはなんとなく共通するものが見えてくるかもしれない。


 わたしの、そういう音楽に対する嗜好がどのように形成されたのか、過程はわりと覚えているが、理由は多分最初からあまり意識していない。そうやって生活習慣が形成されている。


 自分で書いているとよくわかるが、こんなことを他人にそう簡単に云うことはできない。


 でも書くことは比較的やさしくて、それは目の前にだれもいない、という単純な理由だと思う。単にワープロに文章を打ち込んでいるだけ。


 折れた矢を持っているのは誰なのか、難しい問題ではある。


過去への旅路



 そう。問題は誰が折れた矢を持っているのかなのかもしれない。


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