ハーバード大学のウィレット教授のように、女性に心臓病を起こす度合いにおいて、トランス脂肪酸は飽和脂肪酸より何倍も強いと主張するする一派もいるが、実際に分析してみるとトランス脂肪酸含量は、ばらつきが極めて大きかったと主張する論文もある。製造者としては、トランス脂肪酸は入っていて欲しくない不純物に分類されるだろうから、含量が一定しないというのもありそうな話ではある。化合物の化学合成をやったことがあれば、微妙なさじ加減があることは明らかなので、製造工場ごとに異なっていても少しも不思議ではない。というかありえないことではない。
さて、ウィレット教授のような疫学者が、過去20年にわたって看護婦のトランス脂肪酸含量を推定する場合(食べたもの全てをガスクロなどで分析するのでない限り推定にしかならない)に、このばらつきがどのくらい影響するかということが問題になる。
疫学者は、ベータカロテンにがん予防効果があるとして、喫煙者にサプリメントの形で摂取させて、かえって発がん率を高めた(調査は直ちに中止された)という前歴もあるし、そもそもがんの原因の30%は食事だという単なる意見の域をでない(原論文を読めばわかる)ものをあたかも事実のごとくに流布させた前歴もある(こちらはまだ信じているヒトも多いだろう)。もちろん正確さに欠ける言い方であることは認めるが、でたらめというわけでもない。
90年代以降、サプリメントとしてのビタミンEには顕著な効果が見られたためしが(あまり)なくて、それを疫学者はなんども主張しているにもかかわらず、いまだにビタミンEのサプリメントは効果があることになっているという逆の面もある。ベータカロテン、ビタミンC、そしてビタミンEの大規模疫学研究は、おおむね効果が見られないという方向では一致しているといえるのに。これも正確さに欠けることは認めるが。
結局、科学者は理論的な根拠を詳細に提示するだけで、だからこうしたほうが「良い」とか「悪い」とかは科学の仕事ではないし、現実たいした影響力を持ち得ないということではないのだろうか。これはウェーバーが社会科学の方法として主張したとおりである。将来的には可能になるのかもしれないが、いまのところ、良い悪いというような価値判断は、個人や組織が各々くだすものであって、科学が論理的に結論を導くことはありえない。
ウィレットにしたところで、だからトランス脂肪酸の摂取は控える「べき」とはいえるが、控えた方が「良い」とはいえない道理なのである。「べき」なのは、そうすれば心臓病などになる確率が減るだろうからだ。病人を減らすことは医学の目標のひとつであって、その価値まで否定してしまうと、医学研究そのものが成り立たなくなってしまう。
しかし、それが「良い」かどうかというのは、価値判断である。極端なはなし、早く死んで欲しい人間に、トランス脂肪酸の摂取を控えるように忠告するのは、だれにとって「良い」ことなのか。
最初から話題がぜんぜん違う方にそれてしまったが、トランス脂肪酸の害とマーガリンの害を区別しなければいけないと言うと、なぜか生理的な反発が起こってしまうのは何故だろうかと考えていたのである。
牛乳を飲むヒトも多いだろうし、牛肉を食べるヒトもたくさんいるはずだ。みんなトランス脂肪酸を食べている。マーガリンを食べなくてもトランス脂肪酸を食べている。べつにトランスだろうがシスだろうがあまり関係ないように見える。でも、それがマーガリンだと嫌なんですね。
不可解なのは、マーガリンを嫌いだといえばすむのに、別の理由を持ち出すことだ。いや、不可解でもなんでもないかもしれない。単にユダヤ人が嫌いなのに、どうしてユダヤ人を排斥しなければならないのか言い訳しないと気がすまないのが人間らしいから。
嫌いとか、悪いとかは、このさきもできるだけ判断材料にはしないようにしたい。もちろん、好きも良いも不可。EBMも、エビデンスの「質」などという価値判断は、もうEの範疇ではなくてMの領域なのは明らかである。せめてそれはもうEではないことくらいははっきりさせておく必要があるだろう。再現性とか確度というような言い方をすればすむことなのに、それを「質」というのはあまりにも見え透いている。