1.5%の新生児が不幸なことに神経管欠損と呼ばれる障害をもって生まれてくるとして、それが毎日ビタミンAのサプリメントを飲んでいたら3%になるとしたら、当の妊婦でなくても、ビタミンAのサプリメントを飲むのは出産まで止めようと思っても不思議なことはない。
けれども、たとえサプリメントを全く飲んだ経験がなくても、その1.5%には障害がでてしまうわけである。
サプリメントを飲まなくても、食事からのビタミンAの摂取が多めである場合には、同様にリスクが上昇するとしても、その上昇というものの根拠が、188人中5人ということになると、これが正確な数字だということは疑わないとしても、調査につきものの誤差とかバイアスというものの存在を考えると、もし4人だったらとか、さらに3人だったらと考え始めると、何も差はないということにさえなってしまう。
この結果を全て受け入れるとしても、100人のお母さんのうち、1.5人というのはありえないから、2人か3人が、不幸な帰結を受け入れざるを得ないということになるが、ふつうに人生のことを考えれば明らかなように、これだけが新生児(とその家族)が不幸になる理由の全てではないのは明らかだ。
でも、いったいどうしたらよいのだろう。
この結果(と他の類似の結果)から、妊婦や妊娠するかもしれない女性には、ビタミンAのサプリメントは控えるように言うのは良い(たいてい飲む必要はないから)としても、たまにブタレバを何十グラムか食べることまで禁止した方がよいのだろうか?
ここでちょっと話が飛ぶけれども、量子力学というものをご存知だろうか? 電子のある時間tにおける存在位置は確率関数でしか表現できないというもので、それは現在では一般に受け入れられている考え方だ。あるいは、別の例をいうと、かべに二つ穴があいているとして、手前に二つの光子が存在し、それらがかべの向こう側に移動するときに、どちらの光子がどちらの穴を通ったかはわからないというものだ。たとえ、光子が一個しかなくても、わからなかったはずだ(手元に参考書がないので、大嘘書いていたらごめんなさい)。
どちらの例も、電子や光子が波としての性質をもつところからくる(と書きながら、実は書いている本人もよくわかっていないことは告白しておく。海にある波なら、個々の水の分子を明らかに識別できるだろう)らしい。
で、どういうことかというと、ビタミンAと神経管欠損の関係は、波としての性質を記述したものであり、個々の粒子を単独で考えた場合には、どの粒子がその不幸な(あるいは不幸でない)帰結に至るかは決められないということである。そのように粒子の属性を剥ぎ取ってしまったところに成り立つ結果だからだ。
もちろん、量子力学とは異なり(そもそも電子や光子にも穴の性質にも違いがないというのが前提の思考実験)、奇形の場合には具体的に不幸を持つか持たないかは、一人ずつ明確にわかるし、その原因を個別に追究することも可能だ。もっとも現在の遺伝子や生化学的な知識から、それを完全に明らかにするのは不可能だろうけれど。
類推としてはかなり無理があるけれども、統計力学に多くを負っている量子力学のある種のあいまいさは、ビタミンと奇形の例をけっこううまく説明できるのではないだろうか? 量子力学の例では、これ以上分解できないもの、均質なものを考えていたわけだが、ビタミンの場合も、取り扱い方としては同じようにやっている。
では何が問題なのかといえば、当然、妊婦も子供も単なる粒子ではないということだろう。
それを粒子として仮定できる抽象的な思考が必要だとする主張も無意味ではないが、それは当事者ではない誰かにとってということになる。いや、当事者たる妊婦と子供にも無意味ではない。それは確かなのだが、当事者にとっては、それってなにかの慰めになるのだろうか?
ビタミンAのサプリメントを大量に摂取していた母親は、もし子供に不幸があれば、そのことで自分を責めるだろうが、いままで書いてきたことからの単純な帰結として、サプリメントが原因である可能性はそうでない可能性と同じ程度である。でも、サプリメントを飲んでいたらそうは思えないだろうというのが、実は本当に不幸な帰結だと思う。
ビタミンAのサプリメントを摂取している妊婦さんと話をした場合を考える。
あなたは、それを中止させるが、不幸にも子供に奇形がでた。
あなたは当然ビタミンAを疑うだろう。でも、あなたにはそれだけのことにすぎない。
それを一生の負い目にするかもしれない当事者たる母親や父親、その他の家族にとってはどうなのか。すでに、サプリメントがどうとかいう話ではない。もはや、栄養とも関係がないかもしれないが、奇形の全体像を示し、サプリメントに起因する割合、起因しない割合などなど、諸々の根拠をおさえておく必要がでてくる。
どうして参考書が見つからないんだろう。