テッド・チャンのこの物語は、子供についてなにがしかの経験を持っている全ての人に(特にそのことに意識的な人々に)共感されるものだと思うが、いかんせん、その語り口がSFそのものに過ぎる。たぶん、よほどSFが好きか、我慢強い人でなければ、三分の一も読み進められないのではないだろうか? ある意味、これは学術論文を読む場合と同じである。私が大学生のころ、原書の新刊がでるとすぐに買っていた米国の作家は、もっとはるかに読みやすくわかりやすいかたちで同じアイデアを物語にしていた。あれはとてもわかりやすかったが、同時に陳腐に感じられる危険性も大きかった。陳腐というのは、いまウェルズの『火星戦争』が陳腐であるというような意味合いである。ウェルズの『透明人間』も『タイムマシン』もおなじように陳腐になってしまっているが、実際に読んでみればちっとも陳腐ではない。
それが、物語るということの力なのだと思う。
でも、現実には物語ることの力は、まったく生きていない。理論的な裏付けが得られなければしかたないかもしれず。確かに、未だに継子扱いではある。
ずっとそう?