MedlinePlus: We’re sorryというニュース。原理からいえば、鍼の効果というのは、ツボに鍼を刺した結果起こるものでなければおかしいことになるが、西洋科学の見地からすると、その説明自体がおかしいという理屈も成り立つわけで、その結果、鍼の効果の対照実験が実は対照ではなかった(それ自体効果を持っていた)などという言い訳が出てきたりする。
勘違いは誰にでもあることなので、それはどうでもいいことだとおもう。
今わたしたちに必要なのは、そういう言い訳ではなくて、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に、ということではないだろうか? 基督教が嫌ならもちは餅屋と言い換えても良い(違うかしら)。
世界は神が創造されたという話は、すでの数千年の歴史を持っているが、宇宙のチリから偶然他の惑星ともども出来上がったという話には数百年の歴史しかない。どちらが正しいかどうかというのは価値判断であり科学のよくなしうるところではない。ただし、科学的な判断はある。科学的な検証に耐えうるのはどちらか、客観的という基準からはどちらがよりあり得るかたちであるか、というようなことは明らかにできるし、またそうすべきだが、もちろんそこからは、普遍的な正しさの答えはでてこないのである。
わたしたちにわかるのは、数千年にわたって創世記がどのような効果をもたらしたのか、それは客観的にはおよそあり得ないことだと数百年前にだれかが言い出してから、そのことがまた別のどのような効果をもたらしたのか、ということである。
鍼療法も同じことなのではないかと思う。論文にも科学ニュースにもそんな余裕はない、というかそういう場合の決まった書き方が存在しないことが、いちばんの不幸かもしれない。読者には。