« 2007年06月 | メイン | 2007年08月 »

2007年07月 アーカイブ

2007年07月05日

あなたの人生の物語(仮)プロジェクト



 仮の物語ということで、オルタナティブストーリーをシャレて訳してみたつもりなのですが…。やはりわからないでしょうね。自分でも整合性取れてるかちょっとわかってないし。


 これも既にある小説の題名だから、そのままでは使わないでしょう。(仮)のままでちょっとやってみようとは思っているのですが。たとえば、こんな風に…


2007年07月13日

栄研の新しい紹介ビデオ



http://health00.nutritio.net/ramgen/eiken_short.rm


 結局以前と同じリアルメディアのストリーミングがいちばん手軽にできるので(他のものも一通り試したが、QuickTimeのストリーミングがメディアの変換まで含めると意外にもいちばんむずかしく、次がウィンドウズメディアで、もっとも簡単なのがリアルメディアだった。ウィンドウズマシンを主なクライアントとした場合だが、もちろんそう想定しないわけにはいかないだろう)、栄養研の新しい紹介ビデオを暫定的に手持ちのマシンにサーバを立てて公開してみた。まだ専用のページなどが準備できていないので、ここだけの限定公開である。


 この短縮版ビデオは、昨年4月から5年間の第二期中期計画の紹介で、本編は16分あるが、ウェブではそんなに長いと飽きるだろうということ(?)で、ウェブ用の短縮版も製作した。本編はウェブで公開する予定は今のところない。わたしはただ短縮版を公開しろと言われているだけで、本編を公開してはいけないとは言われているわけではないが、何か意図があってのことだろうから、積極的に見られるようにするつもりはいまのところ、ない。


 でも、短縮版でも充分だと思う。計画の概要が知りたいだけならば。栄研のサイトで紹介ビデオを観たいということはそういうことだろうし。


2007年07月17日

問題を立てるところから始めよう



 (あなた)の人生の物語(仮)というフォーラムを立ち上げ(事実)て、栄養実践においてヒトについての実証的根拠をどう考えるのが良いのか(価値判断)を考えてみようとしたが、二つ三つ書いただけで、すぐに困難を感じ始めてしまった(価値判断)。


 いま、ためしに事実と価値判断をカッコに入れて明示的に示してみると、感想文なのであたりまえではあるが、ほぼ個人的な感想を述べているだけで、ちっとも科学的ではない。根拠がN=1(えぬいち、と読む。例数が1しかないという業界用語)なので、もっともらしく書き直しても同じことである。


 たとえば、「(あなた)の人生の物語(仮)というフォーラムを立ち上げ(事実)て、栄養実践においてヒトについての実証的根拠を実地に適用する場合のガイドラインを提示することを試みた(事実)が、極めて初期の段階でその困難性が明らかになったため中止した(事実)。」という具合。


 学会の予稿集用の作文である。


 専門家が見れば、すぐに「栄養実践においてヒトについての実証的根拠を実地に適用する場合のガイドラインを提示する」ことが具体的にどのようなものなのか、それはガイドラインとしての基準を満たしていたのか、「極めて初期の段階」とは具体的に、運用開始後何日目なのか、それとも投稿数幾つ目なのか、「その困難性」というのは具体的にどのようなものなのか、明らかになるというのは、具体的にどのような現象をさすのか、それらの全てを客観的な根拠を明示しながら説明するように求められるのは明らかだ。


 そこで、次のような書き換えはまったくのフィクションで事実と思われると困るのだが、例えば次のように書き直したりする。


(あなた)の人生の物語(仮)というフォーラムを立ち上げ(事実)て、栄養実践においてヒトについての実証的根拠を実地に適用する場合のガイドラインを<サケットらが根拠に基づく医療(EBM)として提唱する5段階の診療モデルに基づいて>提示することを試みた(事実)が、<運用開始後3日目、投稿数3という>極めて初期の段階で<サケットらのEBMモデルにおいては、対象となる患者に即した問題の定立がその第一段階であり、それなしには第二段階の根拠の探索、第三段階の吟味、第四段階の患者への適用における調整を行うことに著しい困難が伴うことが明らかになった。また、サケットらは、ガイドラインの作成へのEBMの適用法についても述べているが、それに従うとしても、すでに論文がメタ分析である場合(今回の事例)に、ここで必要なことは「患者に適用するための詳しい指示」というガイドラインの2つの明瞭な構成要素の2番目のものであることが明らかであって、患者が存在しなければやはりそれを行うことは困難である。もちろんその場合の患者は仮想的な存在であるから、それを想定したガイドラインを作成することは不可能とはいえない。しかし実地に適用可能なガイドラインはサケットらがいうところの「キラーB」に抵触しない必要がある。一般的に(というのはガイドラインは限定された地域において患者を一般化してするものだから)栄養指導が(B1)病気の負荷に見合うだろうかという問題がまずあり、(B2)介入の価値、(B3)コスト、(B4)障壁も簡単には決められない問題である。要するにそれは多くの検討を必要とする問題ということになるが、そのような困難性をかかえたガイドラインなど本来あるべきでないのはいうまでもない。というわけで、>その困難性が明らかになったため中止した(事実)。」


 いや、まだ中止したわけではない。が、これを書きながら、困難性が以前よりも具体的になってきた分、やはり中止か、方針変更というのはもう間違いないように思えてきた。というのは、批判的な視点(これが特徴のつもりだった)をいくら導入したところで、所詮一般化してのことである。その一般化が有効性の障害になっているのだとしたら?


 個人から始めなければいけないというのは、以前にも何度か書いた気がする。


 結局問題は個人的なものなのかもしれず、解等可能な問題の定立というのは、なかなか意味深ではあるかもしれない。


2007年07月20日

キラービー(B)



 殺人蜂(killer bee)の語呂合わせらしい。そのためにむりにBで始まる単語で統一しているのだろうか?



実地に適用可能なガイドラインはサケットらがいうところの「キラーB」に抵触しない必要がある。栄養指導が(B1)病気の負荷に見合うだろうかという問題がまずあり、(B2)介入の価値、(B3)コスト、(B4)障壁も簡単には決められない問題である。要するにそれは多くの検討を必要とする問題ということになるが、そのような困難性をかかえたガイドラインなど本来あるべきでないのはいうまでもない。



 サケットらは、ガイドラインの要素として、エビデンスと具体的な指示の二つを挙げている。エビデンスは基本的に研究論文のことであり誰にとっても大きな違いはないものだが、具体的な指示は地域的なものであって、地域ごとにかなり大きな違いがでる可能性がある。


 上記の引用におけるガイドラインというのは、それら二つの要素を包含したガイドライン全体のことであるが、特に、自分の患者/診療/病院/地域に合わせた個別のガイドラインを指している。そうでなくては意味が通らない。学会や国の機関が出すガイドラインに実地不可能性や実現困難性が最初から含まれていることは(特にそれが優勢なはずは)ありえない。


 ところが、自分の側の特別な事情によって、ガイドラインはしばしば変更を余儀なくされる。そして出来上がった個別のガイドラインが、キラーBに抵触していたらゆっくり考え直す必要があるだろう、ということだ。基本的には、サケットらのEBMの教科書(第2版の邦訳)に書かれていること(最新第3版の原書では構成が見直されて違う場所に移動しているが)を敷衍しているに過ぎない。


 別に殺人蜂でも、別人28号でも、どうでもいいのだが、こういうベタな判断基準が実は重要なのかもしれない。微妙であるので慎重であれといわれても、なにもできないが、少なくともキラーBに答えることはできるだろうから。


 形は輸入するけど、和魂洋才? 和魂を教えて!


About 2007年07月

2007年07月にブログ「新・サラダの日々」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2007年06月です。

次のアーカイブは2007年08月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36