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2007年10月 アーカイブ

2007年10月12日

EBIS復旧しました



リンクDEダイエットEBIS(健康食品文献情報のページ)が再び毎日更新されるようになりました。この半年分の文献をまとめて登録してありますので、一度ご覧ください。


追記



と書いたばかりで問題発覚。プログラムが修正されるまで日々の更新はしばらくお待ち下さい。


2007年10月22日

ウェーバーとポパー



 簡潔に、それゆえ詳細には突っ込みどころ満載だろうとは思うが、とりあえずシノプシスのようなものを書いておくことにする。いくつか論文を読んだ感想文のようなものだとおもってもらえばよい。


 ポパーが自然科学の反証可能性で有名なことは知っていたつもりだが、ウェーバーに反論していることは最近までしらなかった。ポパーは自然科学の原理を社会科学に拡張するつもりだったのか、それとも別のものとしていたのかはしらないが、とにかく、社会科学も論じていたのである。


 ポパーの反証可能性は、ファイヤーアーベントのような弟子によって批判されているし、クーンのパラダイムシフトもある。それは、天動説から地動説へのコペルニクス、ガリレオらの論証。ニュートン力学、相対性理論、量子力学などのあいだを、反証可能性だけではうまくつなげないという反論だと思うが、それら科学論における批判はここではあまり関係がない。


 問題は、ウェーバーとポパーが、科学と価値判断の区別という点においては同じだが、区別のレベルが異なるという点にあると私は(論文を読んでいて)思った。つまり、ウェーバーの研究者内部における科学と実践の峻別は、ポパーによれば不可能であり、ポパーは、社会(共同体)における反証可能性を軸とした議論によって科学が実践(価値判断)から区別されて真理に近づくと考えたらしい。


 日本語で読める論文をいくつか読んだところでは、どうも両者には乖離があり、社会科学を相対論や量子論のようなレベルで考えるポパーの発想自体に現時点では無理があるという感じがする。ただし、ポパーの著作を読んでいない(したがって解説書レベルの知識しかない)ので、それがどのていどの妥当性を持っているかわからないのだが。


 ただし、私がここでこの一年書いてきたようなウェーバー社会学による栄養学の見直しという視点からいえば、ポパーの議論はあまり関係がなさそうだ。というのは、ポパーの議論では、研究者や実践者個人の内面的な科学と実践の区別という問題は、結局社会(共同体)での議論で解消されていくべきもののようだから。


 目の前にいる好きな、けれども実は人類を破滅させる存在を殺すのが正しいかどうか、というSFではありがちなシチュエーションなのだろうか。公衆衛生学者たらんとするなら、かならず殺すべしということになるのだろうが。


2007年10月24日

ポパーは関係なく



 栄養学が自然科学の一分野であり、それが物理学と同じレベルで考えてよいということなら、ポパーは無視できない。社会科学的な部分についても、学界における議論による精緻化ということは、じっくり考えなければいけないことである。


 でも、もし議論を単純化して、自分が客観的だと思うことはなにを言ってもよくて、その理由というのが、客観性については自分(個人)では判断できないから、というのであれば、それは違うだろうと思う。


 客観性の判断が議論によって最終的に学界で落ち着いていくということには、疑問はない。それはウェーバーとても、論文を発表した後では、そのような過程が現実社会でおこったことは間違いないからだ。


 だが、たとえ自らの客観性の基準そのものに(普遍的な科学としての)客観性を持ち込むことが不可能だとしても、論文を書いている時点で、論文における(本当の)客観性の視点をまったく無視してよいことにはならないだろう。ポパーもそこまではいっていないと私は思っている(まだ原著を読んでいないのであくまで想像であって、ひょっとしたらそこまでポパーはいっているのかもしれないが)。


 ウェーバーはポパーのような科学哲学者ではなくて社会学者であり、彼の方法論は普遍的な知識社会学の理論というより、彼独自の理解社会学という社会学による自身の著作のための方法論を論じたというのが今日の一般的な理解だろうから、両者の間には対象がずれているという基本的な乖離が存在する。


 ポパーは物理学の展開を念頭において社会学に踏み込んだようなのだが、ウェーバーにとっては社会学は物理学のようには展開できないというのが前提なのだ(ウェーバーは少なくとも翻訳ではいくつか読んでいる)。


 というわけで、私自身は、栄養学の発展のためにはポパーも必要かもしれないと思うが、このサイトで論じてきたことについては、ポパーは邪魔なだけだと思っている。私は栄養教育のような人文科学的な(社会学的といってもよい)部分にはそれ相応のいわゆる自然科学として栄養学とは異なる考え方が必要だと思ったのだから、それも結局は自然科学と同一原理で説明できるといわれても困ってしまうのだ(究極的にはできると思うが、それは現時点ではたんなるファンタジーに過ぎない)。


 とりあえず、個人の内面的な問題として考えることが必要だと思う。


2007年10月27日

カラフル



森絵都の長編小説。


大きな過ちを犯して死んだ男が、冥界に行く途中で抽選に当たったと天使に告げられ、自殺した少年の身体に入ってやり直す機会を与えられる。


大島弓子の『四月怪談』とか、赤川次郎の『ふたり』とか、十代のころからずっとこの手の物語が好きだった。


少し前にハマッた『ヒカルの碁』なんかも典型的な幽霊憑依譚だった。少なくとも第一部は。


去年公開された映画『この胸いっぱいの愛を』では、ちょっとひねってあったけど(原作がSFだったのでそのつもりで観ていたから意表をつかれた)。


最近ハマッてる『ハヤテの如く』にも憑依ネタが登場する。いちばん笑ったのは、女装マニアのデザイナーに憑依されたハヤテがメイドさんになってしまうやつ。


でもなぜかいままで現実では一度も幽霊にお目にかかったことはない。


#これからまたこういう類の話題も書いていくようにしようかな。


2007年10月28日

火星年代記とスターウォーズ



 よくよく考えてみると、スターウォーズの方がSFらしく見えるのに、SFファンはあれはSFではないという。でも、火星年代記は(TVドラマのほうじゃないですよ)間違いなくSFなのである。


 結局のところ、どちらがSFというものを豊かにしてきたかを考えれば、SFファンの考え方は偏狭に過ぎるといえるけど、その結果SFなんてものはなくなってしまった(それみたことか)。


 インターネットも同じように消滅しかけている。


 沈黙の大衆パワーというやつなのだろうか。マスコミの陰謀なのだろうか。もっとほかにも理由はありそうだけど、大衆に迎合する2.0なんたらが最大の原因に違いない。


 答えは風の中にあるんだろうか? もう40年以上たってますが…


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