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ただし、標題はヘッセの『荒野の狼』からの引用。
昔から、『アメリカの鱒釣り』の表紙のブローティガンの写真は、荒野の狼のようだと勝手に思い込んでいた。たぶん、『荒野の狼』がどこかアメリカ的だったからだろう。それともアメリカのロックバンド「ステッペンウルフ(荒野の狼)」の影響だろうか?
『アメリカの鱒釣り』は、ある意味ただの雑文の寄せ集めに過ぎないともいえるのに、実際にはそうではない。それどころか、『荒野の狼』にも匹敵する文学作品である。これは、かなり奇妙なことだと思うが、そうなのである。疑うなら、読んでみるとよい。新潮文庫に収録されている。
残念なことに(と私には思えるのだが)、同じ作者の他の作品は、小説らしい構成をとっているにもかかわらず、『鱒釣り』とは比べるべくもない。
読むなら(英語の)詩集の方がだんぜん良いと思う。
そういう節目にいるのではないかと思ったりもする。節目といっても、何年かにわたってゆるやかに変化していくものであり、三月いっぱいで廃止というように劇的には進行しない。そもそも廃止に決定されたことは一度もなかったわけだし。
それでも、実質的にこれが転換点だったのではないかというような局面はあるのかもしれない。昔話をするなら、研究員会議を潰したあの日がそうだったかもしれないとはいえる。もっともこれは今となっては本当に昔話になってしまったが。
過ぎてしまった日々はいつでも緑色に輝いているのかもしれないが、実際には昨日今日となにも違っているわけではない。役者が違うだけかもしれないし、監督かスポンサーが変わっただけで、台本は一緒というような。でもみんな飽きもせずに戦国時代や明治維新の物語を作り続けるし観続ける。
タイトルはボブ・ディラン。でも僕が音楽を聴きだした頃には、すでにディランもビートルズも規範に近かった。岡林でさえも。そういうものかもしれないと本気で思ったのは、中学時代の友人に頼まれてフロイドのCD(!)を近くのレコード店(!!)に取りに行ったとき、アルバイトの大学生らしい店員に、シブいですね(!!!)といわれた時だった。そのエピソードを友人にCDを渡しながら話すと、彼「最近は、パープルをヘヴィメタの元祖というくらいだから」と笑っていたが、これを今読んでいるキミ、ヘヴィメタって知ってる?