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2008年07月 アーカイブ

2008年07月04日

科学も価値観にしばられる



という意味のことを、ある講演会で述べた。講演後、座長(司会)の先生がそれに触れ、思いがけない展開という意味の発言で締めくくったので、説明不足だったと後悔した。


 でもその時、私の前に発表した先生が、私の講演後はなぜか視線を合わせなくなって、帰る時も一人でさっさと去っていったのは、次の予定が詰まっていたからだと思いたい。


 科学が価値観にしばられるというのは、簡単な話で、たとえば典型的な例として、システマティック・レビューに対するナラティブ・レビューというものがある。ナラティブ・レビューというのは研究者の間でもふつうは使わない言葉だと思う(おそらくシステマティック・レビューの実践家らの言い方なのだろう)が、要するに従来のシステマティック・レビューではないレビュー(総説)すべてを指す言葉のようだ。私が読んだ説明にはそう書いてあった。


 それをなんと呼ぶかは、ヒトによって異なるようではあるが、システマティックとそれ以外という区別自体には異論はない。そして、まさにその区別の存在することが、科学も価値観に縛られるというひとつの例証だと思うのである。


 システマティック(系統的)なレビュー(総説)には、ナラティブ(ナレーション的)・レビューにはなかったいくつかの特徴があり、それらは従来のレビューを脱却して、より科学的というか客観的なレビューを構成するためのものだと私は理解している。つまり、ひとつはシステマティックな文献検索とその再現性確保(科学は重要な方法論)のためにその道程を詳細に記すこと、もうひとつはエビデンス・テーブル(証拠表)と呼ばれ、個々の文献の特徴を表の形でまとめたものである。さらに進んでメタ(形而上)・アナリシス(分析)という方法も使われるが、これは発展形として別物とするのか、あくまでもシステマティックの一部なのか、私にはよくわからないが、とにかくそういったいくつかの特徴がある。


 システマティック・レビューやメタ・アナリシスが、より科学的、客観的な方法かどうかは、ここでの議論では問わない、というかどうでもいいことである。


 システマティック・レビューが科学的、客観的な方法であり、ナラティブがそうではない、という一部の栄養疫学者の主張が本当なら、いまでも医学生物学研究のレビューの多くがナラティブであり、それは科学的、客観的ではないということになるが、それもここではどうでもよい。


 問題なのは、システマティック・レビューが常に理想的なものにはならないようだということである。理想的かどうか、優劣がつくというのは、考えるまでもなく、価値観の反映である。システマティック・レビューという科学的、客観的なものを目指してナラティブを克服したものであっても、そうやって価値判断の対象になる。つまり価値観にしばられるわけである。


 もちろん、ナラティブのほうは、そういう呼び方自体が恣意的なものという含意を持つのが明らかであり、現実には特にシステマティック・レビューと異なるわけではないと個人的には考えている。


 しかし、この価値判断は論理学上のものであって、善悪のような倫理的なものとは異なるという意見もあるだろう。


 これに対する反論は簡単だ。例えば、だれか著名な先生の講演会に行ったとしよう。別に著名でなくてもいいのだが、その先生が、自分の講演に含まれる科学的知、客観的知について、システマティック・レビューのような客観性を立証するための議論をすることはない(少なくとも私自身は聞いたことがない)。


 個人的には、あるニュースをとりあげ、それ以外は取り上げないことで、私自身は強く価値観にしばられ続けている。科学的であるためには、ランダム化した複数のサイトから抽出したニュースを、さらにランダム化して提示しなければならない(そういえばレビューでも、年代順や著者名順にエビデンスを並べるのは、科学的ではないかもしれない)。


 とはいうものの、こんなことを面と向かって肯定する研究者はまずいない。私自身も例外ではなく、言い訳するだろう。まあ、私の場合は、それ以前に、そもそも科学ではないという前提があるだけ気分は楽かもしれないけれど。


2008年07月05日

昨日のできごと



米国の「妊娠男」が女児を出産2008.7.4, BBC より:



女性として生まれモデルの経験もあったが、性転換手術を受けて今は法的に男性になっているトーマス(34)が、女児を出産したという報告。トーマスは乳房外科手術を受けて胸は平らだが、女性生殖器を持っており、匿名の提供者の精子を使用して妻が受胎させたという。一部報道機関によれば帝王切開の予定だったというが、結局セント・チャールズ医療センターで自然分娩で出産した。ただしそれ以上詳しい出産の経過は明らかにされていない。(キャッシュ



 身も心も男じゃなかったの? なんだかよくわかりません。


2008年07月11日

道を行くのか造るのか



 今夜の論点は二つ、簡単に。


 ひとつめ。歳を取ると頭が固くなるのは、ある程度はしかたないことであり、50歳前後が分水嶺なのかと思っていた。でも、よくよく考えてみると年齢だけが原因ではないかもしれない。


 ふたつめ。留学で仕入れたアイデアでひとやま稼ぐのは日本の伝統的なお家芸だった。頭が固いこととなぜか相関があるように思えて、嫌な気分になる。


 でも、実はこれがこの国の出世の王道なのかもしれない。海の向こうの国を、ただなぞっているだけ。頭が適度に固くなければ、遺伝子も文化もかなり異なる他人の行動を無批判に受け入れることはできないから、相関するのも当然ということだろう(逆に、頭が柔かいと、疑問がいくらでもわいてきて、ただなぞることができない)。


それも必要だとしても



 明治時代がそうであったように、和魂洋才だろうとなんだろうと、とにかく技術が追いつく必要がある場合(植民地化を拒否したい)は想定されうるが、もちろんそれは科学の本質ではない、というのは断言できそうな気がする。日本の伝統、たとえば納豆の食べ方、をアメリカのシステマティック・レビュー(系統総覧)で教えてもらうようなものだが、これも賛否両論あるだろう。そのどこにも科学はないのだが、そんなこと言うだけ無駄、の世界である。


 先人の多くも、旅行熱に浮かされた数年を送ったのではないかと思うが、そのうちに、どうしてかの国ではこうなっているものが、わが国ではそうでないのか、の理由がはっきり理解されてくる。単純化していうなら、今の米国の栄養士の在り方と肥満流行とは切り離せないということである。


2008年07月25日

健康・栄養フォーラムがアクセス不可



 現在その原因をさぐっているところですので、しばらくお待ちください。


復旧しました(29-Jul-08)

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