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2009年01月 アーカイブ

2009年01月15日

リンクDE(だいえっと・えんぱわめんと)ダイエット



 このページに来てくださる奇特な読者の方は、すでにしてひとりかふたりに過ぎませんので、不特定多数の読者など想定してもお臍が茶を沸かす状態ですから、内輪のヒトしか読んでいない前提で書きます。


あるいは、少しかっこつけて言うなら、



 幾時代かがありまして


 黄色い戦争ありました



状態といってもいいけど、これではなんのことかわからない。


 ところで、関係ないですが、DEというのが、実はダイエット・エンパワメントの頭文字だということに、いまさっき気が付きました。このページは、略してDEBG(でぶ)ということに(?)。あまり良い略称とは思えません。


 もともとのリンクDEダイエットのDEは、フランス語のde(英語のofに相当)で、もう何度も書いた気がするけど、「ダイエットのリンク集」という意味。「リンクをたどるだけでダイエットできる」という意味ではありません。それなら、もっと正確に、


"LIENS DE DIET"


と書け、といわれそうですが、リャンでは何のことかわからないから、英語のリンクにしたわけです。ダイエットも英語読みで、フランス語ならディエト(実は、もう一つウソフランス語があります。アクセント記号が抜けていること。大文字の場合はアクセント記号を省略しても良いという規則があるので許されるはずですが)。


リャンDEディエト


では(フランス語をよく知らないヒトには)なんのことか意味不明(もちろん知っていても意味は不明ですが)。


 それはともかく、なにが言いたかったのかというと、一日20,000ページビューを目指して、最後のダメ押しをしようということです。「なりふり構ってらんないのよ」の、みさとさん状態で、これから2か月やってみたらどのくらい延ばせるだろうか、ということで、来週から開始。


 なんのことを言っているのかわからない方のために、URLを書いておきます。


http://www.linkdediet.org/hn/


 科学的なダイエットについて、本当のことが知りたければ、ここにその答えがあります。(もちろん、この文章は真実ですが、意識的に、「科学」と「本当」と「答え」という三つの単語についての一般的な誤解を念頭において、積極的に誤読を誘導しています。それがどういうことなのかは、アクセスしてみれば、わかるでしょう。わからなかったら、質問の書き込みをしてみてください。かならずお答えします。)


 というわけで、すでにキャンペーンは始まっています。次は、ミクシ行こうかな。


2009年01月17日

落ち着かない食事は質の悪いものになる



http://www.linkdediet.org/hn/modules/weblogD3/details.php?blog_id=554


健康・栄養フォーラム( http://www.linkdediet.org/hn/ )に、ゆっくり座って複数で食事をしないヒトの食事内容は、ファーストフードなど、栄養学的にはお勧めできないものになりがちだというニュースが載っている。


栄養学的にお勧めできないというのは、端的には食事摂取基準を満たさないという意味である。


考えるまでもなく、ゆっくり座って食べないというのは、毎日の夕食を、自宅やレストランで食べないということに他ならない。市民公園で、ゆっくり仲間と座って食べているのは、たぶん住所不定の方々で、それはそれで食事の中身は限定されるはずだ(でもそのような方々は調査の対象にはならない)。


他方、住所不定でない方々がゆっくり座って食べるとしたら、自分か家族の調理したものかプロの料理人が調理したものである可能性が高い。


それが調査の結果明らかになったというのは、もちろん意味のあることである。それが根拠に基づくということであるからだ。


と、いま根拠に基づく医療(EBM)のことを思い出して、ふと、本当にそうなのだろうかと、EBMはそんなことを本当に想定したのか、考えてしまった。


主要な問題として、EBMが想定していたのは、たぶん、乳がんの治療は、放射線か外科的切除か、それとも薬物療法か、というような場合であって、ほっておいたら死んでしまうときに、どうするかという切迫した状況下であったことは間違いないだろう。


それが、今晩の食事にまで拡張されるとなると。


医学的な意味ということでは、研究者らが、質が悪いと栄養士が指摘する食事を続けている場合に、疾病罹患率や死亡率が上昇するということを想定しているのは明らかなのだが、この研究では、それが明らかになっているわけではない。つまり直接的な因果関係はおろか見かけ上の関連性さえ明らかではないということになる。


確かに、忙しいヒトの夕食の栄養学的な質が悪くなるということは、直感的にも理解できるし、それがこの研究で明らかになったのは評価できることではあるのだが、ここにあるのは栄養士のある種の欺瞞であることも間違いない。


というのは、栄養士がひどい食生活と断定するような人々のなかにも、理想的な食生活の人々より長生きするヒトがかならずいるという現実があるからである。それも少なからぬ人数が。


2009年01月18日

ニンニクではがんは予防できません



http://www.linkdediet.org/hn/modules/weblogD3/details.php?blog_id=539


ということらしいです。詳しくは、上記のニュースをお読みください。


こういうニュースからなにがわかるか、というと、もともと効果が弱い食品のようなものの効果を、疫学的に検証するのは、とても難しいということでしょうか。それは、効果がないことを意味するというよりは、疫学では効果を証明することはできないことを意味していると思われます。


ただし、このことから、ニンニクの抗がん作用というものは、たとえあったとしても極めて弱いという、すべての食品に言えそうな事実が明らかになります。一般的に食品の抗がん効果は、簡単にはわからないくらい弱いものなのです。まったく無いという可能性もあるが、それはだれにもわからない。


わかるのは、ただ、弱いということくらい。


2009年01月19日

栄養(学)主義



http://www.linkdediet.org/hn/modules/mukudori/details.php?blog_id=113


ニュートリショニズムともいう。Nutritionismの日本語訳だが、まだほとんど日本では知られていない概念なので、決まった訳語がない。


「栄養偏愛主義」というのはどうだろうか?


上記のURLは、日本語での最初のまとまった解説(と元論文の日本語訳)である。


提唱者は、ジョージィ・スクリニスというオーストラリアの社会学者だが、広く知られるきっかけとなったのは、マイケル・ポランのニューヨークタイムズのエッセイらしい。


何が問題か、というと、ただの牛乳より、カルシウムとビタミンDを添加した牛乳のほうがよりよい食品だということになってしまうことである、とスクリニスは言う。あるいは低脂肪乳のように、あるものが無いことが栄養上の価値を高めるという逆説的な現象である。


さらにまた、加工食品より自然の食品のほうが健康効果が高いらしいというのは、久しい以前から多くの栄養学者が確認してきた事実であり、現在でもそれは栄養教育の基本的なガイドラインのひとつのはずであるのに、特定の栄養素の効果(あるいは無効果)の主張(これももちろん栄養学者が確認してきたことだろうけど)に対して、副次的なものに転落してしまっている、という事実である(いろいろな要素がからんではいる)。


2009年01月20日

心臓病患者のコレステロール値の問題



http://www.linkdediet.org/hn/modules/weblogD3/details.php?blog_id=562


心臓麻痺を起して病院に運び込まれた患者のLDL-コレステロール(悪玉と呼ばれる。高いと心臓によくない)値の平均は、100 mg/dl だった、という報告。HDL-コレステロール(善玉と呼ばれる。高い方が心臓には良い)も40(mg/dl)以下が55%いたという。


心臓発作を起こしたヒトのわずか1.4%だけが、ガイドラインの記述を満たしていた(つまり健康だった)ということで、現在の治療ガイドラインを見直す必要があるだろうということを著者らは主張しているようだ。


上記の日本語解説も、その元になっている英語のニュースに引き摺られて、リスクファクターとしてのLDL値とHDL値は見直すべきだという内容になっているように思われるが、論文要旨を読む限りでは、そうではなくて、心臓発作で入院したヒトの現在の状態に対する検討である。


専門家でない私の読みのほうが間違っていると考えるのが理にかなっているとは思うのだが、どうもこの記事は釈然としない。


どなたかご教示願えないでしょうか?


PS:考察に書いてあった



記事は論文の考察を元にしたものらしく、入院後24時間以内の検査値だが、やはり発症時の値からそう離れてはいないという前提で、心臓リスクの尺度にはなっていないようだと、LDL値の平均100という値に基づいて議論していた。


それで一応納得できたが、上にも書いた(論文でも指摘されている)ガイドラインの基準をみたす「健康」なコレステロール値の患者は1.4%、つまりこれは「健康」なコレステロール値のヒトは心臓発作を起こさないことを意味しているわけで、やはりガイドラインは正しいのではないのか? HDL値も低め(つまり「健康」的でない)である。


2009年01月21日

減塩しすぎは問題か?



http://www.linkdediet.org/hn/modules/pico/index.php?content_id=326


英国の国立健康サービスのサイトにある栄養療法文献データベースからの日本語での紹介です。もともと英国人の塩の摂取量は、日本人よりかなり少ないのですが、さらに減らしても問題は起きないようだということのようです。ただし、その結論はかなり割り引いて考える必要がある、とも。


2009年01月23日

信頼できる健康情報の探し方



http://www.linkdediet.org/hn/modules/weblogD3/details.php?blog_id=565


このブログではさんざん書き散らしてきたことですが、いまさらのように、健康・栄養フォーラムで、一般のユーザ向けに、学術論文の基づいた(ということは科学的信頼性が高い)情報を日々ゲットする方法を解説することにしました。


内容的には、実は昨年『臨床栄養』に書いたことと重なっていますが、あちらは字数制限があって、実際のサイトの解説をゆっくりしている余裕がありませんでした。


今回は、各々の特徴についても書いていますので、『臨床栄養』を読まれた方にも有意味だと思います。


2009年01月25日

科学的根拠に基づくダイエット



科学的根拠に基づくスペシャル・ダイエット


英国のNHS(国立健康サービス)の中にある科学的根拠に基づくデータベースの日本語バージョンです。公刊された文献に基づいて、英国の専門研究者が、批判的に注釈を加えているので、信頼性は極めて高いといえます。


2009年01月27日

もちろんモンティパイソン



の精神で作っております。


http://www.linkdediet.org/hn/


詳細は夜。気が向いたら。


2009年01月29日

千里ニュータウンはいつから?



http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090129/lcl0901291335001-n1.htm



山口准教授は「日本の『最先端の街』だった千里ニュータウンが、いつ『社会問題の街』へ変化したかを研究し、問題点を分析することは、他の地域のニュータウンの再生にも結びつく可能性がある」と述べる。



1973年の石油ショックで、トイレットペーパーの買い占めを始めたときが、顕在化の最初ではないかと思う。ということは、万博が70年で、このときにはまだ最先端だったと仮定しても、変化は3年後に起こったのではないか?


多分、大阪のヒトは、そうはいわないで、石油ショックの事件は、まさに千里が最先端だったことを示す最高の事例ではないかと、主張すると思うけど。


2009年01月31日

キャッチボールについて



 キャッチボールについて哲学的に書いてみようと思った。ただし、ここではボールは比喩的な存在であり、ヒトとヒトとの間を行き交う様々な事象のすべてを意味することにする。


 はじめよう。


 簡単なことなのである。20歳は一番美しい季節かもしれないけれど、20歳ではないわたしはそれを言ってはいけないらしい。というのも、ポール・ニザンが「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生で一番美しい年齢だなどと誰にも言わせまい。」 などと書いてしまったからだ。この小説、最近新版が出版されて手軽に手に入るようになったが、もうだれも書き出しの一行だけでは心酔わせられないようである。


 書き出しの一行で良いのなら、ブローティガンの『コーヒー』という短編小説があり、トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』という長編もあるが、どちらも最後まで読んでも良い作品である。ニザンは読んでいないので、わからない。


 それはともかく、そのようにして二十歳の青年は自分のことを考えるものだというのは、古来良く知られた事実だし、だいたい二十代なんてそんな感じで過ぎてゆく。私も周囲の誰も例外ではなかった気がする。


 大学院の時、私は博士論文で忙しかったのであまり気にもかけなかったのだが、修士二年の後輩が隣の学部の博士課程に進みたいらしいといううわさを聞いた。これは少なくとも当時の日本ではあまり推奨されない進学コースだった。どうしてよそに行かなければならないのか、というわけである。指導教官にはプライドがある。特に教授は、自分の研究室に砂をかけられるような気がするのだろうか、まあ実際その通りなので、これはかなり微妙な問題になる。


 それでも、「隣の研究室」に移るよりはまだ容易で、現実に、彼の一学年上のクラスの一人は歯学部に再入学し、もう一人はB研という医学系の研究所の博士課程に進学していた。だから、修士二年の後輩も、できると思ったのだろうが、それはとんでもない勘違いだし、実際勘違いだったことが後に証明されることになる。


 少々の経験値があれば、この後輩の困難は一目瞭然だったはずである。なぜなら、そういう進路は通常難しいのに、一年上の先輩が二人も同時にそれをやってしまっていたのだから。指導教官は激怒とまではいかなくても、そうとう怒っていると思って良い。私はすでに微妙な問題だとは思うくらいの分別はあったが、当時はそこまでは考えなかった、というより考えたくなかった。私もやはり教授はそんな陰険な存在であるはずがないと単純に信じていたからだ(この信頼は、一年後に裏切られることになるがそれはまた別の話である)。


 問題は教授のプライドなのだから、教授になれる三十代後半にもなれば、これがどんなに曲者かはわかるようになると思うが、二十五歳の後輩(とたぶん周囲の同級生)はそんなことには思い至らなかったのだろう(私は当時二十八歳で、うすうす気がついてはいたがまだまだ楽観的だった)。


 けれど、すでにお察しのとおり、彼は、隣の学部の博士に行くことはできなかった。教授がそれをつぶしてしまったのである。単に推薦状を書かないということだったかもしれない。所詮は他人ごとなので詳しいことはよく覚えていない。でも進学できなかったことは覚えている。もちろん、そのまま内部で博士課程に進むことも、教授に拒否された。彼は、確か就職浪人になって一年後にどこかの企業に就職したはずである。


 ちなみに、もっと困難だと上に書いた「隣の研究室」に移籍する場合だが、無邪気にこれを教授に言ったところ、まだ残っていた教授の必須科目の単位が不可になり(まだ四年生だったのだ)、卒業さえできなくなってしまったというケースがある。もちろん、不可になったのはテストができなかったからであって、移籍は関係がないと、教授は言うだろうけれど。


 全然哲学的じゃない。それにキャッチボールにもなってないような気がする。はっきり言って、彼ら(後輩たち)は、最初からあさっての方角にボールを投げてしまった実例に過ぎないし、そんな例はどちらかといえばまれな部類に属する。むしろ、キャッチボールをしたのは、その先輩二人のほうだろう。現在ひとりは某公立大学の教授になっているし、もう一人は良く知らないが確か某歯科医師会の会長をやっているはずである。うまくやってしまった彼らのほうが、よっぽど教授のプライドを傷つけたはずだが、一方的な報復はできなかったわけである。だからこそ、それはキャッチボールとして成立した。


 野球に興味がない人間には、だからなんだということになるだけだ。しかしそう傍観していられるわけでもない。


 まさか、翌年その当事者に、しかも初球から暴投の一例を増やすことになろうとは思ってもいなかったわたしだったが、いきなり(予兆はあったが今にして思えば自業自得というやつである)剣が峰に立たされることになってしまった。


 しかしそれはまた別の話である。いずれ気が向いたら書くこともあるだろう。


 千里ニュータウンつながり、ってことで。:-)


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