わたしも一応論文を書いている(もっとも最近書いてない)身なので、論文作成がかなり面倒くさい作業であることはわかっている(少なくとも学会発表に比べたら)つもりだが、それでも、学問の進歩に与えるその寄与率というのは、ほんの微々たるものでしかない。
明日には否定されてしまうかもしれないが、正面切って反論されたのであれば、それなりの存在意義があったわけである。ほとんどは単に無視されるか、レビューのリストに並ぶだけかもしれない。
アインシュタインの特殊相対論、ワトソン&クリックの二重らせんのような論文は、めったに現れない。
それは、実際に論文を書いているだれもが知っていることである。
ところが、これは論文を書いていないだれもが知らないことであるらしい。
そういわれれば、どうして「にがり」の健康効果が学会発表しかないのに、あんなにブームを巻き起こしたのか説明がつくというものだ。
それを、学会が未然に防げなかったこともそれで説明がつく。
TVの番組が専門家を登場させてなにかの健康効果をいくら話したところで、研究者は、よくある学会発表の拙速版(記者発表というかたちでときどきある)だと思ってほとんど無視する。興味をもったとしても、PubMedで検索して、なにも出てこなければそれでおしまいである。日常的に学会発表にも論文にも接していれば、そういう対応になるのはごく自然なことである。
あまりにも自然なことなので、けちをつけるほどのこともない。ただの発表のひとつであり、それ以上のものにはなりえない。
それが学会に属する研究者の反応なのである。
これはほとんど常識といってよいことなのに、なぜかマスメディアの表面には出てこない。明らかにそんなことが常識になったら科学ニュースがニュースとしての価値を失ってしまうからだ。
メディアの人間も、2,3年も同じ分野の取材を続ければ、ほとんどの出来事がささいなことの繰り返しに過ぎないことに気付いている。しかも、正反対に見える結論が同じ日に報告されることは、日常茶飯事なのである。
それではニュースにならないではないか。
ということになると、問題の中心が見えてくるのではないか? これは一種のやらせだということだ。最初は素人だったとしても、5年も10年も素人であり続けることは、かえって努力が必要になる。というか、そんなことは不可能だろう。そのような素人ではないスタッフが、「にがり」を見つけるわけである。実際のところ、捏造で番組打ち切りになった納豆事件と、内面においてはあまりかわらないのではないかと思える。
論文でさえ、簡単に否定されるということをもっと積極的に発信していくだけで、誤解は減るし、おかしな捏造も減るはずだが、メディアの人間はそこまでやらなくても大丈夫なことに気付いたらしく、今は雌伏しているということなのだろうか?