« 2009年05月 | メイン | 2009年07月 »

2009年06月 アーカイブ

2009年06月15日

目立たないと意味がない



 なにか人名録のようなリストを想像してもらいたい。


 特定のポジションにいる人間を探したいとする。たとえば、そのリストの全体に連絡を取りたい場合に最初に連絡する相手はだれなのか、というような。


 そのポジションの名称は、常に同じとは限らない。一般的にいって、まず「連絡係」とは書かれていないだろう。小学校のクラス名簿でもない限り。


 雲の上にいるかたが、そこからくだんの「連絡係」がみつけにくいとクレームをつけてきたとしたら、どうするのが良いだろうか?


 わたしなら、ひとめで、くだんの「連絡係」と思しい人物に目がいくように工夫する。実際そうしたのである。


「やめてくれ」と今日申し入れがあった。なぜかと聞いたら、目立つから、だって。


 はあ?


2009年06月17日

ただのニュース、ただの論文



 わたしも一応論文を書いている(もっとも最近書いてない)身なので、論文作成がかなり面倒くさい作業であることはわかっている(少なくとも学会発表に比べたら)つもりだが、それでも、学問の進歩に与えるその寄与率というのは、ほんの微々たるものでしかない。


 明日には否定されてしまうかもしれないが、正面切って反論されたのであれば、それなりの存在意義があったわけである。ほとんどは単に無視されるか、レビューのリストに並ぶだけかもしれない。


 アインシュタインの特殊相対論、ワトソン&クリックの二重らせんのような論文は、めったに現れない。


 それは、実際に論文を書いているだれもが知っていることである。


 ところが、これは論文を書いていないだれもが知らないことであるらしい。


 そういわれれば、どうして「にがり」の健康効果が学会発表しかないのに、あんなにブームを巻き起こしたのか説明がつくというものだ。


 それを、学会が未然に防げなかったこともそれで説明がつく。


 TVの番組が専門家を登場させてなにかの健康効果をいくら話したところで、研究者は、よくある学会発表の拙速版(記者発表というかたちでときどきある)だと思ってほとんど無視する。興味をもったとしても、PubMedで検索して、なにも出てこなければそれでおしまいである。日常的に学会発表にも論文にも接していれば、そういう対応になるのはごく自然なことである。


 あまりにも自然なことなので、けちをつけるほどのこともない。ただの発表のひとつであり、それ以上のものにはなりえない。


 それが学会に属する研究者の反応なのである。


 これはほとんど常識といってよいことなのに、なぜかマスメディアの表面には出てこない。明らかにそんなことが常識になったら科学ニュースがニュースとしての価値を失ってしまうからだ。


 メディアの人間も、2,3年も同じ分野の取材を続ければ、ほとんどの出来事がささいなことの繰り返しに過ぎないことに気付いている。しかも、正反対に見える結論が同じ日に報告されることは、日常茶飯事なのである。


 それではニュースにならないではないか。


 ということになると、問題の中心が見えてくるのではないか? これは一種のやらせだということだ。最初は素人だったとしても、5年も10年も素人であり続けることは、かえって努力が必要になる。というか、そんなことは不可能だろう。そのような素人ではないスタッフが、「にがり」を見つけるわけである。実際のところ、捏造で番組打ち切りになった納豆事件と、内面においてはあまりかわらないのではないかと思える。


 論文でさえ、簡単に否定されるということをもっと積極的に発信していくだけで、誤解は減るし、おかしな捏造も減るはずだが、メディアの人間はそこまでやらなくても大丈夫なことに気付いたらしく、今は雌伏しているということなのだろうか?


2009年06月25日

重要な論文、重要なニュース



たったひとつの論文が科学の世界を変えてしまうということも、まれにはある。


1904年(?)にアインシュタインが書いた論文はどれもそうだった(かもしれない)。


あるいはハイゼンベルクの量子力学。


これはいわゆるパラダイム・シフトと呼ばれる現象である。コペルニクス的転回によって、昨日まで動いていた天体が静止し、今日からは地球が動くようになる、というトマス・クーンが名付けたあの現象である。


厳密にどこまで成立する考え方なのかはともかくとして、天文学と物理学の世界では、過去に実際に起きていることなので、それが今後生物学の世界で起きないという保証はないが、そういえばシュレージンガーという、そんなものはないと早々に見切りをつけてしまったことでも有名な物理学者もいた。もちろん波動方程式などで物理学での貢献は計り知れない大学者であり、実際生物学には固有の物理法則は未だに見つかっていないので、彼は正しかったといえる。


生物学の世界でこれにあたるものとして、たとえば進化論はそうかもしれない。個人的には分子進化の中立説のほうが二重のパラダイム・シフトを内包していて興味を感じる(実際、そちらを専門にしたいと真剣に悩んでいた時期もあった)。


栄養学に限定するなら、ビタミンの発見はかなりそれに近いといえるだろう。ビタミン欠乏は、たとえば、大航海時代にはビタミンC欠乏(壊血病)がオレンジとレモンで治ることが知られていたし、明治時代には脚気が西洋風の食事では起こりにくいということもわかっていたが、食事の中にヒトが生合成できない必須の成分が含まれているという発想はなかったらしい。


そんなバカなと思うかもしれないが、現実にふつうの食事を摂っている限り、欠乏は起こらないのだから、気がつかないのも無理はない。何万年ものあいだ(というのが大げさなら少なくともギリシャ時代には)、子供は男性のなかにあるもの(たとえばホムンクルス)が女性の胎内で大きくなるだけと信じられていたくらいなのだから。


ちなみに、このホムンクルスは、最初から赤ん坊と同じ体形をしていて、胎内ではただひたすら大きくなるだけだと考えられていた時期もあった。


というわけで、一夜にして世界が変わることは現実におき得ることではあるし、それがハトの餌に端を発したために医学界から無視されるということも現実におき得るというか、ビタミンの発見にはそのような逸話が残されている。


About 2009年06月

2009年06月にブログ「新・サラダの日々」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2009年05月です。

次のアーカイブは2009年07月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36