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MJの死とメディア



https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/weblog_eye103/index.php?date=20090723



 死亡後、マイケルに関するニュースや世論はかなり好意的なものに転じた。しかし、彼の音楽やダンス、人間性にきちんと向き合ったとは思えない報道の多さに憤りを感じる。8日の本欄「情報社会とスター契約」(東京学芸部・川崎浩記者)など毎日新聞の一部記事もしかりだ。繊細で傷つきやすかった彼が受け続けた誤解を、少しでも晴らしたい。



これは、ファンによる好意的な見方の極にあるといえないこともないだろうが、死者にはどんなに好意的でも好意的に過ぎるということはありえない。


たしかにわたしは、一晩中泣かなかったし、いまだにライブのDVDを持っていないけど、言いたいことはわかる。


他方、この記事でも取り上げられていた


https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/weblog_eye103/index.php?date=20090708


は、少なくとも、ファンでない人による(確かにファンでないという、そのことだけはひしひしと伝わってくる、ある意味真情のこもった文章だ)、およそ好意的とは言いがたい文章である。


最後の数段落(実際は最初のでも中間のでも同じだが)を読めば一目瞭然のような気がする。以下は、その引用である。



「『マイケルよ、果てるまでゴシップで我を喜ばせるべし』。この罰を与えた現代のゼウス(ギリシャ神話の最高神)は一体、誰なのか。エンターテインメント業界か。メディアか。大衆か。それともマイケル本人か。そのすべてか。


スターであり続けるためには、プライバシー情報の大岩を転がし続けなければならない。どんな目に遭っても、反論することも、逃げだすことも許されない。いや、意外と居心地もよい。スターの地位は保証される。とすれば、逃げ出す必要もない。この状況をマイケルは受容したとも言える。百発百中の銃弾を得るため狩人と悪魔が契約をかわすオペラ「魔弾の射手」の21世紀版である。


だが、さすがにそこで生きていくためには、マイケルは、かかしとブリキ男にならざるを得なかったのではないか。死の直前、はからずもそれを口にしたのではないか。死因、遺言、遺産相続……。マイケル報道は今日も続く。」(川崎浩『記者の目:M・ジャクソン 情報社会とスター契約』毎日新聞)



亡くなった人に対して、あなたは黒人でマスコミにいいように利用されたがそれで多少は上手い汁も吸い、でも30歳以下の人間であなたを知っている人はほとんどいなくて…、と死んだ直後に書くくらいMJを嫌いな人も存在することが確認できる貴重な文章だが、どうみてもこれは死者に対する追悼の文章ではない。


いや…。否定はできないかもしれないが。


ためしにMJを指している箇所をすべてあなたの娘さん(女性なら息子さん)にしてみたらどうだろうか? 自分の子供に言われて嫌なことはすべて追悼の言葉としては不適切ではないのだろうか?


要約すれば、この引用文は、次のような意味だろうか。


「(第1段)MJのゴシップはたぶんに自業自得ではないのか。(第2段)それはスターの有名税でありスターであり続けるには避けられないが、嫌なことばかりでもない。あいつ(MJ)は悪魔と契約を交わしたんだよ!(第3段)MJはスターになるために映画に出演し、今年は再起を目指したが、さすがに50歳になって20代の頃のような舞台をするには専属医師は必須だと感じてそれを、過去の映画にかけて比喩的に語ったので、冗談を真に受けたふりをして(あるいは比喩を字義通りに受け取って)批判を展開してみました。これは評論家の常套手段で、MJが亡くなった今、私だけじゃないみんながやっていることだ、何が悪い(元の文章自体はいくらでも言い訳できるように構成されている。これがプロの仕事というものさ)。」


引用文の最後の「かかしとブリキ男」のかかしは単なる役柄である。


   1.そこで生きていくためには、勝新太郎は、座頭市にならざるを得なかった


   2.そこで生きていくためには、ビートたけしは、座頭市にならざるを得なかった


   3.そこで生きていくためには、綾瀬はるかは、座頭市にならざるを得なかった


もちろんいくらでも続けることが可能である。すべて事実といえばいえる。それが職業なのだから。


どうしてこんな両極端の意見をエッセイのような形で載せたのだろうか? 両方載せておくのが両論併記の原則に適うということなのか?


新聞というのは、新しいことをどこよりも早く知らせるものだという基本原則に忠実な毎日新聞であると、毎日新聞の勧誘屋がくるたびにいうのだが、ほかのどこよりもスクープが多いのだそうだ。それが事実かどうかは知らないが、そうであってくれなくては困るくらい他の、たとえば文化欄はお粗末だというのがわたしの個人的な感想ではある。


上の事例もまさしくそのひとつということになる。というか、ここまでくるとそのキップのよさに惚れ惚れするくらいのものだった。


NotFound にならなければ、ね。


自民党の総裁が毎日のようにやっていることは、権力の私用というものだが、これがなかったら、だれも総裁になどなりたがらないだろう。09年7月25日には、「高齢者は働く以外に才能がない」とか「80歳を過ぎて遊びを覚えても遅い」と発言したそうだが、わたしがここで同じ事を言ってもなにも起こらない。権力者なら違うが、やっていることは同じレベル(低次元)だとしたら、これが私用でなくてなんだというのか。


くだんの記事の筆者もたぶんそういった人なのかもしれない(この文章はほめ言葉ですね)。


でも筆者がだれなのかは、もうどうでもいいことだ。


私が一番おかしいと思うのは、マス・メディアが、死者への礼節を忘れてもいいと(どうやら)考えていたらしいことである。そう思っていたはずなのに、その記事はNotFoundになったことである。それ以前には記者の目というエッセイ風の記事ではあるにせよ両極端の記事を載せてごまかそうとしたことである。


まあ、ドサクサにまぎれてごまかしながら意図的に冒涜したとも見えるが、それはさすがに深読みが過ぎるというものだろう。


しかし、さすがにここまで書いたらクレームがつくかもしれん。


とつぜんNotFoundになったらよろしく。


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2009年07月25日 00:00に投稿されたエントリーのページです。

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