エビデンスと言い募る
これは、まったくの印象でいうのだけれど、エビデンスとか科学的根拠とかをキャッチフレーズのように使う頻度が高い人物に、科学と実践の境界を混同することが多い、というのは統計的に有意だろうか?:-)
というのは、これもまったく印象の域をでないのだけれど、エビデンス、つまり科学的な研究に基づくヒトでの証拠ということに固執しているのが明らかである場合、そのことに価値判断を付加する例が、そうではない、単に科学研究の成果の対象がヒトかどうかにあまり固執していないように見える場合にくらべて極端に多いように思えるからである。
科学研究において、ヒトが対象であるかどうかは、実践的にはそれは医療に寄与できるかどうかという価値に関係するので極めて重要であるが、純粋科学的にはどうでもいいことに類する。
医療(臨床)に寄与しない医学(科学)研究には意味がない、などといえば、意味がないというのは明らかに価値判断なので、単に自分の立場を危うくするだけであろうが、どうも本音はその辺りにありそうである。
基本的に、エビデンスがあろうとなかろうと、実践上のいかなる局面においても、その(あるかないかという)事実は直接的な影響を及ぼしえない、というのが、実は科学的根拠、あるいはエビデンスが証明する事実である。エビデンスがあるから、といってそれを実践の根拠とすることが単純にはできないことは昔から明白であるし、エビデンスに基づく医療(EBM)と銘打った比較的新しい臨床実践においてもその点で変更はない。