壊血病とバスコ・ダ・ガマ
たとえば、初めて世界一周を成し遂げたマジェラン一行の230名中208名が死亡したというのを、すべて壊血病、つまりビタミンC欠乏症に帰すのはかなり無理があるし、そんなことは誰も言ってないのだが、
思い込み
というか、あるいは、
先入観
というか、あるいは、
狭量とか視野が狭いとか
いろいろ言い方はある(というかそれぞれ意味が異なるが全部当てはまる)のだが、例えば1497-1499年にポルトガルのリスボンから南アフリカの喜望峰を回ってインドまで航海した、バスコ・ダ・ガマの場合についてはどうなのだろうか。
ガマの航海の場合、1497年7月8日にリスボンを出発しているが、その後ヴェルデ岬(アフリカの最西端に位置する岬)を出帆してから11月7日に喜望峰近くに寄港するまでずっと大西洋を航海していたことになっているが、16週間も陸地に寄港していないのに、壊血病が出現していないので、記述の日付に間違いがあるのではないかという疑問が『ランセット』誌に投稿されている(Martini, E.(2003)How did Vasco da Gama sail for 16 weeks without developing scurvy?Lancet, 361, 1480)。
つまりほとんど死者は出ていないと考えて良い。少なくとも航海日誌に特記するようなことはなかった。
ところが、1498年の1月になると、壊血病に特徴的な症状で多くの船員が死んだという記述が現われる。このときの正確な人数は不明である。同様の症状に多くの船員が苦しんだようだが、4月2日にモンバサに寄港して新鮮なオレンジを入手し、その後4月11日の記述には全員が健康を取り戻したと書かれている(Ravenstein, E.G.(1898) A Journal Of The First Voyage Of Vasco Da Gama, 1497-1499. Bedford Press, London)。
その後は陸地伝いで壊血病は発生しなかったようだが、インドからの帰路についたガマの一行を再び悲劇が襲った。1498年10月5日から翌99年の1月2日(13週間!)まで寄港なしの航海が続く間に、壊血病の明白な兆候が現われ、次々に船員が死んでいった。この期間に30人が死亡。日誌にはそれまでにも30名が死亡していたので、一隻あたり7、8人で操船しなければならなくなったが、彼らも皆およそ以前のような体調は保っていなかった、と書かれている(前掲書)。
もちろん全員が壊血病で死んだわけでないだろう。記述からもそれまでに死んだ30人が全員壊血病で死んだとは書かれていない。
とはいえ、乗組員は全部で170人中なのだから、30人でも充分過ぎるほどの人数である。
1月7日にやっとマリンデに寄港したガマの一行はさっそく特効薬のオレンジを買いに走ったと日誌には書かれている。モンバサでの1年前の経験からだろうか(前掲書)。
ガマがリスボンに戻ってきたときには全部で54名しか生存していなかった(Bierman J.B.A.(1996) The incidence of scurvy at sea and its treatment. Revue d'histoire de la parmacie, 44(312suppl.); 339-346.)。
興味深いと思うのは、そうやって壊血病でたくさん死んだと言っても、ビタミンCの欠乏がそれほどの意味を持つということを頭から否定する管理栄養士(医学博士)が存在するということである。
「はいはい、それって、野蛮人に襲われたり感染症になった人も含まれてますよね」
栄養の大切さを自分で否定して、どうする。