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雑考 アーカイブ

2003年06月20日

Possible?



Multilingual community of nutritionist is possible?


Do you know any possibilities when you, as a nutiritionist, can communicate to the other nutritionists?


Please commnet in any language.


2003年07月02日

ダイエットの掟

エビデンス・ステートメント: 体重が減少するかどうかを決めるものは、主として摂取エネルギーの多い少ないである。少ないエネルギーを摂れば、体重は減少する。運動を全くしない場合、減量に最適なエネルギーは三大栄養素(炭水化物、脂質、たんぱく質)の比にかかわらず、1日当り1,400~1,500キロカロリーである。(カテゴリA)

 フリードマンらの肥満研究第9巻(2001)に掲載された「ポピュラー・ダイエットの科学的総説」(Obes. Res., 9:Suppl.1, 1s-40s (2001))に載っている極めて信憑性の高い(カテゴリA)エビデンスである。

 要するに、食べなければ痩せるし、食べ過ぎれば太るのだ。当たり前だと思うかもしれないが、世に言うダイエット法の多くは、そうではないと主張するかあるいはわざとそれに気付かぬふりをしているようだ。

 ただし、このエビデンスが体重減少のスピードには触れていないことに注意せよ。

2003年07月03日

低脂肪クッキーで炭水化物を過剰摂取?



 脂肪の種類よりも食べる量というニュースが、ユーレカアラートという米国の医科学情報サイトにあったので、最新健康・栄養ニュースでも紹介したのだが、その内容というのが、どうもよくわからない。論文の結論には、表題のような例がいくつか載っていて、だから単に脂肪の摂取量だけを見ていてはだめなのだということのようだ。


 論文自体はショートコミュニケーションで、やっている実験も、イタリアンレストランで、バターの代わりにオリーブオイルを出した場合に、パンの消費量がどう変わるかという単純なものだ。結果は、オリーブオイルだと、パンに塗る量がバターより26%多くなるものの、結局食べる総量が減って、脂質からの摂取エネルギーも総摂取エネルギーもバターの方が多かったというもので、ただオリーブオイルがイリノイ州の人々には合わなかったというだけのようにも見える。


 ところが、著者の意図はそうではなくて、表題のように脂肪を抑えたために、かえって食欲が満たされずに、多くの炭水化物、ひいては多くのエネルギーを摂取してしまった、ということを証明したいようである。それは結論にそう書いてあるのだから間違いないだろう。


 確かに、結論に曰く:オリーブオイル群では、26%多めにパンに塗っているが、食べたパンの量は23%少ない。加えて脂質エネルギー比は36.6%で、バター群の31.0%より高いが、総摂取エネルギーは1106.2Jでバター群の1336.6Jより低い。


 これは、バターの塗り方が少なかったために、食欲が満たされなかったので、多くの炭水化物を摂取してしまったということなのだろうか? 低脂肪クッキーとの対比でいくなら、そういうことなのだろう。オリーブオイル群のほうはオリーブの脂肪で心が満たされたので炭水化物の消費が減ったということらしい。それは食後のインタビューによっても満足したという意見が多く(しかし数は明記されていない)あったことから明らかである。


 しかし、著者は、インタビューの意見の中に、液体なのでうまく塗れないとか、パンを漬けて食べたという意見があったことも記している。だったら、やはり、オリーブオイルをパンに塗ることに慣れない人々が、液体であるために固体のバターより多く塗りがちになり、バターよりおいしくないのでたくさんは食べなかった。ということではないのだろうか。そもそもフルコースを食べた人々の、パンとバターだけの消費量を測定して、どれほど意味があるのだろうか?


 さて、ここまで書いたことは、実はどうでもいいのだ。いろいろ難癖をつけたが、著者の言わんとしていることは理解可能だ(同意できるとは言わないが)。


 私にわからないのは、どうしてこの論文がユーレカアラートにニュースとして載ったのか、ということである。同じ著者のもう一つの論文もユーレカアラートに載っていて、こちらは「幼児期から始まる食べ物の好みの性差」と題されていて、出版された論文ではないようだが、話題としては面白く、したがってニュースになる理由はよくわかるのだが。


 もしかしたら米国では有名な人なのでしょうか? どなたかご存知でしたらお教え下さい。


 教訓をひとつ:少なくともざっと論文に目を通してから最新健康・栄養ニュースに載せるようにすること。特にソースがユーレカアラートあるいはイリノイ大学の場合には(^^;


2003年07月12日

トランス脂肪酸



 米国政府がFDAにトランス脂肪酸の表示を義務化するように指示したのは、2年前のこと(日経ヘルス)だ。


 トランス脂肪酸は、マーガリンやショートニングに含まれている特殊な構造の不飽和脂肪酸のことで、心臓には飽和脂肪酸よりもよくないといわれている。


 今年5月には、大手食品メーカーのKraft(クラフト)がトランス脂肪酸の表示を怠り消費者を危険にさらしたとして訴えられている(BBC)


 そして、やっと、7月9日付けで、FDAはトランス脂肪酸の表示を義務付ける新しい規則を発表した。


 食品メーカーは、2006年1月1日までに完全に実施することを求められているが、これが実行されれれば、年間600−1,200人の冠状動脈疾患と250−500人の死亡を防げるという。数字が妙に具体的なのがいかにもアメリカらしいが…。


2003年07月29日

続・トランス脂肪酸

 日本での表示義務化や含量規制も当然議論に上ってきているだろうが、日本での消費量は欧米に比べると極めて少ない。パン食人種は、毎日3回、1回10グラムものマーガリンを摂り続けている可能性だってあるが(その場合3−10グラムのトランス脂肪酸を摂取している可能性がある)、日本人の場合は朝食だけという人が多いだろうし、マーガリンの使い方が欧米より控えめになるような(これは単なる印象)気がするし、それになによりパン食でない日本人はまだけっこういるわけ(欧米にはほとんどいないだろう、ただしこれも単なる推定)なので、平均の摂取量は欧米に比べてかなり少なくなるのは当然だ。でもパン食大好きの人では欧米並みになる可能性はあるから、気をつけるにこしたことはない。とはいうものの、97年にニューイングランド医学雑誌の論文が出たときにNYTが見出しにしたという、バターイズベターももちろん間違い(飽和脂肪酸も心臓病の危険性を高めるのは間違いない)なので、「オリーブオイルが良い」ということにしておこうか。これは間違いではないと思う。ただし筆者は、まだオリーブオイルでトーストを食べたことはない。

続々・トランス脂肪酸



 ところで、どうでもいいといえばいいことなのだが、グーグルで「トランス脂肪酸」を検索すると、最初に出てくるのが健康食品販売サイトの、あまり科学的とは言いかねるページなのが気にかかる。良いとは言っていないので、そういう意味では悪くないのだが、狂った脂肪酸とか書かれても、化学の知識のある人ならば、シス型とトランス型(舟型と椅子型という日本語もあったような気がするが、これはうろ覚えの知識)は単なる異性体で、片一方を狂っていると断定できること自体狂っている(あるいは全く化学を勉強していない)ことが明白である。トランス脂肪酸は直線的で、シス型の正しい脂肪酸はU字型になっているというのだが、飽和脂肪酸は決して狂っていないと思うが、やはり直線型である。第一、トランス脂肪酸は自然界にも(微量だが)存在するので、そういう意味でも別に狂っているわけではないのである。問題はそれが多量に存在する場合なのだ。発がん物質のように、それが存在するだけで量の多寡以前にもう大問題だという視点がそこにはある。もちろん発がん物質だって量的な問題はあるが、それはおいておくとしても、トランス脂肪酸は決して狂っているから、どんなに少なくてもあってはならないというような存在ではない。飽和脂肪酸同様、たくさん食べると体に良くないというに過ぎない。こういうページを読んだ、化学をまったく知らない人たちが、こういう狂いの生じた記述を、頭から信用することのないようにするための、インターネット上の情報の信頼性確保の方法を検討する必要があると思う(というわけで、Nukeでそれをする計画がある)


2003年10月10日

卵は心臓に悪い?

 一般の方から、たまごは何個くらい食べてもいいかという質問があった。ひょっとしたら、一日何個という質問だったかもしれないが、一般的には良質の蛋白源ではあるがコレステロールが多めなので、はたして毎日一個、つまり週に七個も食べてよいかどうかということだと解釈していいだろう。

 今日は疲れているので(個人的な理由で申し訳ないが)、とりあえず、結論を言ってしまうと、健康な人なら、男でも女でも、毎日かならず一個食べても、別に冠動脈疾患や脳卒中の危険性は増加しないという。毎日一個以上食べるのも可である。

 でも糖尿病の人はだめだ。週に一回食べるだけで、ぐんと危険性がます。

 1999年にJAMAに発表された有名な研究である。ご興味のある向きは、PubMedで要約をどうぞ。最近NewsWeekでも話題になった高脂肪地中海型ダイエットの提唱者(という言い方は単純化しすぎかもしれないが)、脂肪では太らないと主張して米農務省と対立したり、トランス脂肪酸の有害性を誰よりも声高に説く、ハーバード大学公衆衛生学部のWillett教授のグループが行ったもの。対象は日本人ではない。

2003年10月24日

研究者の視点

 ダイエットの方法は、それこそ星の数ほどあるわけだけど、それらを判断する基準として、PubMedのようなところで(日本語なら医学中央雑誌があるが、これは有料)、そのダイエットを用いた研究が論文になっているか、あるいはユーミン(といっても歌手ではない)で学会発表を検索してもいいのだが、そういうある意味でダイエットの専門家とよべる医師や管理栄養士や看護婦が公に採用した方法であるかどうかを調べることは有益だと思う。

 人体に害のある方法は、論文や学会発表ができないので、研究者は最初から採用をためらうだろうし、実際にやって効果のない方法では、結果が失敗になって、やはり論文にも学会発表にもならないだろう。

 だから、けっこう効果のあるいい方法が選別されているともいえるのだ。

 ただ、注意しなくてはならないのは、そういう方法の中には、素人がうかつに手を出せない微妙な方法も混ざっている可能性がある。なんてったって、専門家なのだ。研究のために高度な計算もするし、一日に何度も臨床検査を繰り返すこともあって、万が一という場合にはお医者様が必ずいる(それは多くの研究機関で決められている約束事だ)。そういう環境にいない人はやらないほうがいいものだって、ないとは言えない。

 その点だけはよく理解して実行すること。ただし、わたしは責任はもちません。そこんとこ、よろしく(ふるいギャグだな、年がばれる、というほどの年じゃないが)。

2003年10月26日

続・ダイエットの掟

 前にもちょっと触れた、肥満研究第9巻(2001)に掲載されたフリードマンらによる「ポピュラー・ダイエットの科学的総説」(Obes. Res., 9:Suppl.1, 1s-40s (2001))に載っている極めて信憑性の高い(カテゴリA)エビデンス(証拠)を以下に列挙する。ただし、米国農務省の研究所の研究者が米国で一般に普及しているダイエットについて研究したものなので、「米国民に対して」信憑性が高いといっているに過ぎないことは、忘れないようにしなければならない。

曰く、体重が減少するかどうかを決めるものは、主として摂取エネルギーの多い少ないである。少ないエネルギーを摂れば、体重は減少する。運動を全くしない場合、減量に最適なエネルギーは三大栄養素(炭水化物、脂質、たんぱく質)の比にかかわらず、1日当り1,400~1,500キロカロリーである。(カテゴリA)

曰く、中程度の脂肪エネルギー比で平均的にカロリーを減らすダイエットを行う過体重のヒトは、体重が減少する。なぜなら摂取カロリーが少なくなるからである。この種のダイエットは自由摂取でも体重減少を起こす。(カテゴリA)

曰く、全ての低カロリーダイエットは体重減少と体脂肪の減少を起こす。三大栄養素の組成は主要な役割を担っていないように見える。(カテゴリA)

曰く、代謝的な異常はエネルギー制限と体重減少によって修復される。(エビデンスA)

曰く、中程度の脂肪エネルギー比で平均的にカロリーを減らすダイエットは、LDL-コレステロールを減らし、HDL/トータル-コレステロール比を正常化する。血漿中性脂肪も正常化する。(カテゴリA)

曰く、低カロリーダイエット(一日1,000-1,200キロカロリー)は総体重を3-12ヶ月で平均8%減らすことができる。(カテゴリA)

曰く、特にカロリー制限のない、「脂肪摂取制限」ダイエットは、制限摂取カロリー状態を作り出すことで体重減少を生み出す助けになるけれども、カロリー制限を伴う「脂肪摂取制限」ダイエットは、より大きな体重減少を達成する。(カテゴリA)

曰く、中程度の脂肪エネルギー比で平均的にカロリーを減らすダイエットは、血圧を低下させる。(カテゴリA)

曰く、低脂肪、高炭水化物を摂取する過体重のヒトは、カロリー摂取がより少なくなり、体重が減少し、体脂肪も減る。(カテゴリA)

 これらのエビデンスから、直ちにわかることは、カロリー摂取が少なければやせる、ということだろう。脂質でも炭水化物でもたんぱく質でも、とにかくトータルで少なくなればやせるというわけだ。栄養士的な見解として(私自身は栄養士ではない)、それぞれのバランスを崩すということは栄養学的に極めて危険だ、というものがある。ただ、それを証明した論文は、あまりないようだ。栄養士からは親の敵のように見られているアトキンス・ダイエットでさえ、それをやってなんらかの不具合が観察されたという報告はない。もともと腎臓の悪いヒトにはよくない、という報告はあるが。

 人間の歴史的な流れとして、バランスのとれた食事が定期的に摂れるようになったのは、たかだか数千年のことに過ぎないとすれば、それ以前の人間がバランスの悪い極端な食事でも何とか生きてきたという事実がある。現代でも、インスタントラーメンばかりで健康に悪いと思いながら、別に病院に行くわけでもない大学生がたくさんいる。

 でも、寿命は縮まっているかもしれないけどね。

 最初に書いたように、上のエビデンス群は日本人にはまったく当てはまらない可能性もあるので、悪しからず。

 最後に一言。

 どんな食事でも人間はする権利があるし、それで不健康になることをとめる権利も他人にはない(ただし保護者にはあるだろう)。わたしたちは、こんな生活を続けたら寿命が縮まるのじゃないかと不安を覚えたヒトに、適切な情報を提供することしかできないし、すべきでもないのではないか。これがリンクDEダイエットの「オ・キ・テ」です。

2003年10月27日

おせっかい

 まったくどうでもいいことで、本人には大きなお世話でしかないし、そもそもそれで長生きしてなんか意味あるの? と言われかねないことではあるが、肥満と同様にヤセも寿命を縮めるのは、かなり確かなことである。そもそも、肥満の場合には、BMIが40を越えたらやばいし、45を越えたら、そうとうやばい、と考えていいのだが、30を越えたからといって、今すぐ何とかしないと死んじゃうよ、ということはないのだ。

 ところが、やせの場合には、14を切ったら、どうにかしないと死んじゃうよ!の世界なのである。

 にもかかわらず、高校、大学に通う女子の多くに、BMIが16、7しかないスーパーモデルを理想の体型とする考え方が蔓延している。骨粗しょう症になってもいいことはないと思うけど、確かに、にんげん、パンだけで生きてるわけでもない。幸せな結婚(というものが実際に存在することが前提だけど)をゲットできないで、長寿もへったくれもない、と若い女性が考えても、別に悪いことじゃない。

 あとで気付いても「後の祭り」だからといって、押し付けがましく、健康的な食生活を説くのは欺瞞かもしれない。業務だから、というのが最近のわたしのスタンスではある。とりあえず、こっちのほうが健康で長生きできますよ、とは言うが、知らん顔の女子大生に拡声器でがなりたてる必要はない。

 でも、高校生は未成年だから、義務として、そういうことをすべきではあるかもしれない。強制的に、長生きができると思われる生活の仕方を教え込む、ということを。

 こんなことで悩んでしまうのは、結局のところ、自分の説くところの健康的な生活の根拠が、実際には、それほど確かなものではないということにも原因がある。

 人類に、人種差は存在するとしても、それは男女の差ほどには大きくないという。国によって理想と思われる食事には差がある。だったら、理想的な食事は男女でかなり違うはずではないのか? 差異の方向が違うから、それは食事には関係がないのだろうか?

 違っていても同じ食生活指針で間に合うというのなら、世界中の食生活指針のどれでも自分の好きなものを選んでも同じということもいえるのだろうか?

 まあ、いずれにしても、食べるほうが食べないよりはいいということだ。それは長い人類の歴史の中でふくよかな体型が理想的に見られた理由でもある。それに、現実には、極端に低いBMIになるのは、やはり一種の病気である。

 ただし、絶食しているほうが長生きになるという研究がネズミの実験で示されたのは記憶に新しいところだ。でも論文は見ていないが、無菌的な環境で飼育されているネズミとSARSにおびえる人間を一緒には考えられないだろう。

2003年10月30日

CLAでインスリン抵抗性?



 2002年に米国『糖尿病治療』誌の25巻に掲載された論文に、肥満のヒトを対象にした共役リノール酸(以下CLA、このときは特に純品のt10c12という形の異性体が用いられている、これがCLAの本体だと考えられているからだ)の無作為抽出偽薬対照試験が報告されている。


 12週間の試験の後、とりあえず体重は有意に変化したのだが、インスリン抵抗性にも有意差が出てしまったのだ。しかも悪いほうに。さらに付け加えれば、HDL-コレステロールも有意に下げてしまった。病気になったわけではないが、およそ良いとはいえない変化である。


 同じ著者らによる別の報告でもC反応性たんぱく質が上昇したりしているが、ヒトにおける副作用を報告しているのは、現在のところこのグループだけのようだ。それは一応記憶に留めておくとして…


 他の多くの研究をまとめてみると、CLAでは体重が減らないことは、もうかなり確実なことである。t10c12という異性体の純品なら効くかもしれないのだが、上に述べたような副作用があることを覚悟しなければならない、というわけだ。


 全て人間を対象にした実験の結果である。日本人じゃないけれども、だから関係ないという人はいないと思う。


 そう、CLAが効くとは誰にもいえないのである。しかも、その結果病気にはならない、とも誰にもいえないのだ。


 もちろんいろいろな立場がある。いわく、用量が少なければ効果を期待でき副作用もない、というような。


 しかし、副作用のない一番高い用量を極量に設定するのが定法ではないだろうか? 確実に効果を期待できる薬物や、抗がん剤のように他にたよるものがないという場合は別であるとしても。


「ああ、副作用を我慢しつつ、現在の生を生き延びるわたしはなんと幸せな存在であることか。」


 でも、こういっちゃなんだが、CLAは、たかがデブの治療薬なのである。しかもヒトで効いたという確かな証明がないのである。そういうのはクスリとは呼べないし、他人に勧めるなんて、もう、人間性見たぞーといわれるのが落ちである。


 もちろん、わたしはCLAが生化学的に面白い化合物だという点は否定しない。別に狂ってもいないし普通に牛肉や牛乳に含まれている。それが起こす生体の反応を考えると、とても面白い化合物であることは疑いない。もし機会さえあれば実際に自分で直接実験してみたいくらい、てなもんである。実験科学者を自認する人ならこの感覚はわかってもらえると思う。


 それと、人間に使えるかどうかとはまったく次元の違う話なのだ。どうしてこんなことをわざわざ書かなくてはいけないのか。研究者にはあまりにも自明のことのような気がする。


 お願いだから、何も知らない人に勧めたりしないでほしい。だまって研究してればいいじゃないか。


2003年11月17日

閑話休題

 これは、だいぶ前に人づてに聞いた話で、わたしは業界のことをよく知らないので、誰の発言だったのかもわからないのだが、特定保健用食品の安全性試験は無意味だといった有名な先生がいるそうで、その理由を聞いたところ、食品だから、と答えたという。

 でも、これではあまりにもできすぎているので、たぶん、脚色が入っていると思う。

 長期的な影響をみれば、脂肪の中には飽和脂肪酸やトランス脂肪酸など明らかに慢性毒性を有していると思える種類の脂肪酸が存在している。ただしその影響は極めて微弱だ。一年や二年食べ続けても影響が出るかどうかわからないくらいのものでしかない。でも安全性という観点からいえば慢性毒性があるということになるだろう。共役リノール酸(CLA)のように短期の亜急性毒性(インスリン抵抗性の発現)といえるような毒性を有している脂肪酸も知られている。

 およそ物質として存在しているものである限り安全性の概念は常にある。食品も例外ではない、というのは基本的なことであって、特定保健用食品の認可にはもちろん安全性試験が大きな比重を占めている。

 ただし、上に書いたようなことは、あくまでも基本的には、ということであり、食品というものは特定の成分だけを抽出したり濃縮したようなかなり人工的なものをのぞけば、現実にはいくら食べても安全なものであるというのが普通の認識であろうし、わたし自身もそう思う。

 多分最初に書いた発言者には、特定保健用食品が、まさに「特定の成分だけを抽出したり濃縮したようなかなり人工的なもの」だという認識がなかったのだと思う。だが、特定保健用食品は、まさにそのようなものなのだ。

 誤解のないようにいえば、健康食品はみな、「まさにそのような」ものなので、安全性試験がほとんど行われていないというのは、考えてみればずいぶん恐ろしいことである。

 閑話休題。じつはそんな話をしたかったのではなかった。特定保健用食品というのは、代替医療への国家のかかわり方における、日本的現れのひとつなのかな、と思ったので、それを書いておこうと思ったのだ。

 で、これを突き詰めてゆくと、日本における代替医療研究のナショナルセンターは、○○研が、とナニゲに思ってしまったのだが、ちょっとやばそうなので、とりあえず伏字にしておく。

2003年12月16日

あーこ

 僕にかつて娘がいて、一歳にもならないうちに死んだことを知っている人は多分そんなに多くない。

 あのときのショックは、その後何年にもわたって持続した。

 まさか、あれをまた味わうことになるとは、まったく思っていなかったのに、昨日からの僕は、まさしくそういう状態に陥ってしまっている。

 もう死ぬまでにそんなことはありえないと、あのときは思ったものだが…

 もちろん度合いはまったく違う。言うまでもないことだが。でも自分が生きているのが不思議でしようがなかったあのときを、ちょっと(実感として)思い出してしまった。

 自分が生きているのがおかしいことのように思える。というのが他人にわかるとは思えない。だれもコメントなんてしないように。

 クソッ、もうこんなことは書かないといったばかりなのに。更新履歴もなにもあったものじゃない…

2004年01月15日

これはちがう…

 無理に今までと違うカラー(文字通り色を変えて)を出そうとしても、もともとの色合いは好きで使っていたのだから、変えたら好きじゃなくなるに決まってる。今までのカラーだって試行錯誤の産物なんだから、そんなに簡単に別のタイプの好きなものが見つかるわけはない。

 とりあえず、戦後処理みたいな形で、肥満の文献解説を書いていて、それは今も進行中だけど、今日帰りの電車で、ふいに、「これはちがう…」と思ってしまった。

 オレンジペコも、小豆色にクリーム色も、好きなのだけれど。みっちゃん先生も、わたしが見つけてきたのだし。そういう意味ではぜんぜん問題はないけれど、私の好みからいえば、2年前のリンクDEダイエットは、好みそのものだった。今のデザインの、色合いの黒っぽい直前のやつは、妥協の産物だ。青とグレーのNewScientist風がいいというので、それをまねして、なんとなくそんな感じで8ヶ月過ぎた。でも私は虹色の派手な色使いが好きなので、オレンジペコにしてみたけれど、これは全部がオレンジで、ちっとも派手じゃない。

 やはり自分で配色するしかない、ということか。

 健康栄養学情報探索頁が今残っている中では、いちばん好みを反映しているかもしれない。もう少し濃い目の色のほうがいいが。

 なんだか、いままで、他人の意見を聞いてうまくいったのが、栄養研のトップページだけなので(これはプロのSEさんとデザイナーさんが入っている)、他人の意見は信じられないというのが本当だ。私は自分の感覚が偏っているのはよく自覚しているので、他人の意見を聞くのが好きなのだけれど、客観的に見て、他人の意見のほうが偏りがある場合も多いし、コンセプトや内容とは関係なく好みを言う事が多いので、ちぐはぐになってしまうことも多い。それに、アクセス数が目に見えて減ることも多い。

 だれかに責任を押し付けるのは潔くないので、結局自分の好みを押し通して、アクセス数もそこそこで推移することになる。

 で、今まで書いてきたことと関係ないかもしれないけど、こみゅーんのとりわけまじめな部分は、栄養研の衣をかぶせて、栄養研のメインサイトの一部として公開することになるだろうと、電車の中でふいに気が付いたというわけだ。

 今のままのこみゅーんでは、「まじめな」栄養研のまじめなサービスには、やはりなりえない、と。もちろん、こみゅーんは残るだろうけれど。

 Q&Aを移し、むく鳥を移し、今度は自己学習を移すということで。もう健康食品ネットとの互換性なんてどうでもよくなってきてしまった。予算がないという実際的な理由もあるんですが。

2004年02月04日

思い出してしまった

 今日突然思い出してしまった、いやあなできごと、というのは、健康栄養学情報探索頁で、ぼくは世界中の栄養士さんのページを収集している。最近ちょっと更新していないが、前世紀の終わり頃は熱心にチェックしていた。

 確かに、そのころとは時代が変わったのは認める。あのころと今では個人のページの意味合いがかなり違ってしまっている。

 とはいえ…

 世界中のサイトを集めているのだから英語でページを作るほうがたくさんのひとに見てもらえて良いだろうと思ったぼくは、その準備をはじめた。

 そして、日本語の中からもよさそうなページを選ぼうと、ある人に頼んだのだが、いつまでたっても選ぶ気配がないので、一ヶ月過ぎた頃、どうなっているのか思い切って聞くことにした。

 すると、…

 いや、もうこれ以上は書けない。個人で作っているページはそれぞれ個性があるし、面白くて有用なページも多いとぼくは思う。それは日本だけではないし、それを世界中の栄養士さんと共有することが悪いこととはとても思えないのだが。

 こみゅーんに書き込まれていたかなずさんのブログも北海道の聞いたこともない食べ物の話にみちみちている。

 日本語だから紹介しても無意味だという理屈は、リンクDEダイエットで中国や韓国の情報を日本語で読んでいるのだからぜんぜん成り立たない。もちろんそれが限定されており、しばしば誤解を生むようなたぐいの通訳であることは認めますが。(そういうふうにいうひとは、たいてい機械翻訳があるのだから、興味のある人はすべて機械翻訳でやるから紹介なんてする必要はないともいう。もちろんそれは間違っている。教えたくないとか助けたくないというのなら話は別だが、ぼくは、できるだけ正確な日本の情報を世界の人と共有したい。できることなら全部手で訳してしまいたい。それができないから機械翻訳の助けを借りるのだ)。

 感情的になって屁理屈つけているだけだから相手にしてもはじまらないのだが。でも、おもわず、あんただってわざわざコロラドのスーパーでナビスコのクッキーをおみやげに買ってくるくらい食品の偏在と貴賎には敏感なんだから、ほんとうはわかっているはずでしょう? なんてどなってしまいそうだ。値段は一緒でも、リューベックでニーダーエッガーのマジパンを買ってくるのとはぜんぜん違うゾ。

2004年02月06日

いろいろあるから面白いのか



 パプア・ニューギニアの人々が話している言語のことはまったく知りません。当然、聞いても理解できないでしょう。そんな私が、たとえばパプア・ニューギニアのある部族の渉外係に雇われたとしても、部族の意見をぜんぜん反映することができないでしょう。もっとも外部の、たとえば日本の商社マンの意見だって反映させられません。


 ふつうは、そういう私をパプア・ニューギニアでは雇用してくれません。みなさんも、間違って雇ったりしないように気をつけましょうね。


 ところで、パプア・ニューギニアの人々は、間違って雇われてしまった私をみてひょっとしたら人間としての基本的能力に欠けるところがあるのではないかと思うでしょう。でも、同じようななりをした日本の商社マンと親しく話しているのを見れば、そういうわけではないことに気付くはずです。


 人間としての基本能力に欠けていないのに、部族の人々との意思の疎通ができない私を見て、パプア・ニューギニアの人々は、私が彼らに敵意を抱いているか憎んでいるか、そうでなくとも、まさか愛しているとは思わないはずです。人間であれば、それは理解できるはずです。当然私も理解します。


 パプア・ニューギニアの人々と憎み合うために私は渉外係に雇われたくはありません。


 それで、いま駅前留学にメールで、パプア・ニューギニアのネイティブがいるかどうか問い合わせているところです(雇われたいんかいな ^^;)


2004年03月15日

コーヒー

 人生は珈琲。ときにはそれ一杯のもたらすぬくもりの問題だということだってある。というのは、リチャード・ブローティガンという、アメリカの作家の小説の一節だが、一杯だから小説になるのであって、十杯ではしゃれにもならないという気がする。

 糖尿病の予防効果として、確かに多いほうが効果が大きいらしいが、コーヒーには弊害も多いことを忘れてはならない。

 いや、絶対弊害のほうが多そうだ。

 この実験結果について識者のコメントが、でもたくさん飲めということは意味しない、とか、一日一、二杯なら副作用はないだろう、という感じにならざるを得ないのは、その弊害のせいである。

 でも世の中には、このニュースを読んで、今まで我慢してその分日本茶を飲んでいたのを、やめてコーヒーだけにして良いんだと、受け取る人も少なからずおられるようだ。

 ゼッタイにそんなことはありませんから。

2004年03月17日

七里ガ浜高校

 総合的な学習の時間で、一昨年来、年間10組程度の中高生が見学に来る。

 今日は、神奈川県立七里ガ浜高校から男子12名、女子4名が引率の先生と共にやってきた。

 実は、わたしは鎌倉湘南学区の出身であり、実妹が七里ガ浜の一期生なのであるが、だからといっていつもと変わるわけではない。とはいうものの、冬の見学は昨年の11月以来で久しぶりだったこともあり、新鮮な気持ちで所内見学をして回ることができた。説明をしてくれる先生方も、なんとなく気合が入っているようにも感じられた。

 中高生の皆さん。もしうちに見学に来たいと思っているなら、今ごろの時期は意外と穴場かもしれませんよ。

2004年03月18日

モンテーニュの『エセー』

 需要と供給の関係というものが働いているせいかそうでないのか良くわからないのだが、モンテーニュの『エセー』について書かれた本は何冊かあるのに、岩波文庫の『エセー』そのものの訳本はここ数年品切れが続いているのではないだろうか?

 『幕末百話』や『戊辰物語』も良いが、品切れにすべき書物ではないものが他にもたくさんあるのではないか(ないのだ。だって売れないんだから)。

 相対性原理や量子力学の基本論文の注釈付き日本語訳は貴重だが、ブッデンブロークは青春の必読書ではないのだろうか?(ないのだ。誰も読まないんだから)

 最近、オライリーはMac OS XでUNIXを使うための本をいくつか出している。他の出版社からも出ているようだ。Linuxよりも乗換えが容易であるのに、Macであることが災いして、インテル系のユーザーから無視されているのは悲しいことだ。(ではなくて、金銭の授受=不潔という若者らしい感覚に満ち溢れているからか)

 でも最近、OS9(もちろんあのOS9ではない。Macのシステムのバージョン9という意味)から機種交換に伴って、いやいやOS Xに移ってくるMacユーザが増えている。

 多様性は必要だ。そのためにマイクロソフトはアップルに出資する。意味がちょっと違っているが。おやまに登って、ついでに頭に血が上ってしまった人は多いかもしれない。たぶん100%のひとが自分だけは違うと信じていたのではないか。

 もちろん、わたしも自分は違うと信じている。あっ、その前におやまに登ってないや。残念。

2004年05月01日

メイポール



メーデーというと労働運動との関連をすぐ思い浮かべてしまうのだが、本来は初夏の訪れを祝う祝日に過ぎなかったはず。『若葉の頃』というビージーズの歌の原題は、確か"First of May"だった。


どうしてビージーズと思ったかもしれないが、これは『小さな恋のメロディ』という、いま冬ソナにはまっている世代が、小学生から高校生くらいの頃に一斉を風靡した映画の副主題歌なのである。


そういわれてみると、ヨンさま(ペ・ヨンジュン)って、マーク・レスターに似ていない? 特にトレードマークの唇あたりが…


ぜんぜん関係ないけど、サントリーか何かの広告で最近使われている曲も、メロディのオリジナル曲。これはビージーズではないけれど。同世代の製作者の影を感じていやあな感じになるけど、懐かしい。でもまちがっても買わないぞ。


2004年07月18日

栄養クレオール主義

 漠然としてますが。

 とりあえず、サイト名は、『えいようトルトレータ』でいこうか、と。

 ふざけ過ぎだって?

2004年07月30日

あまんじゃく

 中学生のとき、校長先生が朝礼の時にたびたびしたたとえ話のひとつに、あまんじゃくの話がある。天邪鬼が訛ったものだが、校長先生は子供を狙う悪い大人の話を、みんなあまんじゃくの事として話す癖があったものだから、私のなかでは、いつもひとりの「あまんじゃく」が悪いことをしているような気がしていた。

 これに小学生のときに流行していた伊賀の影丸の敵役がプラスされて(天野邪鬼)、それが実は由比正雪(だったような全然違う話だったような、実はよく覚えていない)であって、しかも長髪の美男子に描かれていたために、ついには、「あまんじゃく」は、美男子の政府転覆を狙うテロリストで、忍法の心得があり、子供を狙う、決してつかまらない(だっていつも登場するって事はそういうことだ)悪いやつというイメージが出来上がってしまった。

 どうして、校長先生が悪い大人のことを「あまんじゃく」と名づけたのかはわからない。当時も今も私の考える天邪鬼のイメージは、「あまんじゃく」とはかなり異なっているからだ。

 校長先生はおそらく50代だったと思う。50年も人間をやっていると、発想に一定の型ができてしまうのはしかたないことかもしれない。べつにそんなことで校長先生を責めるつもりはない。中学生にも本当の自治を、とかなんとかわけわかんないことやって、生徒会をめちゃくちゃにした、という事件がうちの中学で起きたときの校長だったと思うが、なんだかあまり記憶がない。音楽の早川先生にこってりしぼられたことは覚えているのだけれど。

 天邪鬼のはなしだった。

 ある意味で、私にとって、天邪鬼はヒーローである。「あまんじゃく」ではない。いつでも結論をひっくり返したり否定したり無視したりするという意味での真の「天邪鬼」のことだ。

 なぜかといえば、これは研究をするときの心情に極めて近いのだ。研究者ほど意地の悪い集団はいない。それを抑えると研究は停滞する。

まとめ:断定するようになったら要注意かも。

2004年08月14日

ナル真性マニア(マイナスしんせいま)

 ちなみに、私は古書を買うのがあまり好きではない。古書を読んでいると身体中が痒くなる感じがするからだ。ひょっとしたら感じだけではないかもしれない。自分で買った本でも10年20年書棚に放っておかれた本をとりだしてひざに載せると、それだけでひざの裏が無性に痒くなることがある。

 というわけで、それほど好きでない古書の蒐集マニアもあまり好きにはなれず、真性マニアの書いた本はほとんど読まないのだが、亜真性マニアの書いた本はけっこう喜んで読む。この場合、亜真性マニアというのは、確かに真性なのだが、なぜか生活が破綻してもいないし死んでもいないという人をさす。真性マニアや自分の真性マニア度を笑いのめすのが特徴だ。

 単に私が笑いのある文章が好きなだけかもしれないが。

 真性マニアの書いた本にある笑いはひび割れていることが多い(読んでもいないのによく言うと思った人、そのとおりです)。

 ハヤカワSFシリーズ版の『太陽の金の林檎』を文字通り目の前でさらわれて以来、10代のいたいけな日々(自分でゆーな!)を古書店(といってもCOMを探すほうが多かった気もするが)めぐりに費やした(という気分だけはある)私も、ある意味では亜真性マニアである。

(暑さのせいか、最近もうまったく更新履歴の体裁をなしていないとは思うが、夏が来て思い出すのは遥かな尾瀬だけではないのだ。)

 亜真性マニア=非(ナル)真性マニア というわけで、間をとったら「ナルニア」だと気づいたが、実はナルニアもホビットも読んでいない。ノディエのパン屑やマクドナルドのファンだ。あえて20世紀ということなら、ビーグルということになるだろうか。純粋なファンタジーに限定すれば、だけれど。

 ボロニア・ソーセージと聞いてピンと来るなら、あなたもワタシのオトモダチかもね。ケメルくらいでも充分だけど。

 蛇足だが、ケメルというのはゲセン人の発情期。こういう感性はやはり女性ならではという感じがする。

 ル=グィンは「性は必要か」というエッセイでそのあたりの機微に触れている。そしてその後ラディカル・フェミニズムにはしってしまったのは周知のとおり。萩尾望都も、「銀の三角」のあとがきのなかで女性特有の問題が発想の出発点になったと書いているし。

(いろいろネットで探すうちに、こんなページに行き着いた。マンガだけどって、マンガだから良いんじゃないか。誰が作ったどういう文脈なのかも全然分からないけど。まあ、マニアならだれでも似たようなところにたどり着くのかもしれず、そうではなくて極めて特異な例かもしれず。どうでもいいことだが)

さてここでクエスチョンです:上の文章には作家(含漫画家)が8人出てきました。それぞれの関係を簡潔に述べなさい。8人を特定できない人は出直すように(^^;

 ときには、直接的な言葉で語られるのではない真実が必要になる場合もありえるでしょう。

2004年09月10日

子供の視点

 子供と一緒にアニメ映画を見に行くようになると、通常の映画とは異なる配慮がなされているのに気付かされる。TVのアニメだとあまり感じない。多分TVドラマも同じような配慮で作られるからだろう。

 映画の場合大人向けの表現は過激だったり難しかったりするが、子供向けのアニメーションではその辺りはかなり配慮が行き届いていたりする。ウルトラマンのような実写ものでも同様である。

 具体的な例は、実際にビデオでも借りて見てもらえばいい。コスモスなどがいいかもしれない。あるいは、コナンとか。

 妙なたとえかもしれないが、子供向けの配慮というのは、因数分解がかならずできる式という前提で問題を解く高校生が、大学に入学すると、現実には因数分解ができるとわかるまでが仕事の大半だと(ほとんどの方程式は因数分解がうまくできないと)いう事実に困惑するのに似ているかもしれない。

 もちろん、αやβみたいな記号は難しいからだめ、というような配慮も同時にされている。小学生が読めない記号や漢字はまず出てこない。確かに、x,y,zが、γ、σ、πになっていたら戸惑うが、どちらも外国のイロハ文字だから単に慣れの問題である。読めない漢字でも、振り仮名があれば、かえってそのほうがひらがなよりも好ましく感じる場合だってある。

 確かに一部の小学生は大人でさえなかなか理解できない深い心の闇を抱えているかもしれないが、極めて特殊な例だと思う(今の50代60代の人たちが子供だったときにも嫌な事件を起こした子供がいたし、程度が違うと言われるかもしれないが、クビは切らないまでも凶悪な事件が多く起っていたらしい)。人間はそう簡単には変れないと思う(平均寿命のせいで、ラットやハムスターよりは変化が少ない。ショウジョウバエに比べると全く変化しないとさえいえるかも)。

 ちょっとやばいと思った関係で、文章を大幅に推敲している。ひょっとしたらもうぜんぜんだめかもしれない。

 これでおしまい

金曜日のおじさんたちへ



 タイトルを考えながら、『きんつま』を思い出しただけで、特に意味はない。


 女子と小人は養いがたいと言い切ってしまうくらい、それら二者とは異なる存在が「おじさん」である。こいつらの生活習慣なんてどうでもいいと、それら二者は考えているかもしれないし、特に前者の場合にはその傾向が顕著であろう。


 でも、とりあえず医療費低減を前提にするなら、会社にうごめく「オヤジ」が生活習慣病にならない、なったら直す、というのはとても重要なことである。もちろん、ご婦人だって同じなのだが、彼女達はその気になれば、いつでも野菜を増やしたり、魚を増やしたりできるのに、「オヤジ」は、なかなかそういうわけにいかない。


 さて、問題はこうだ。


 栄養士さんがよろこんでアクセスしたがるサイトがあるとする。「オヤジ」はそのサイトを好きになるだろうか? それとも、「オヤジ」は好きになる必要なんてないのだろうか?


 もちろん、子供の場合も同様。


 想像力がほとんどすべてのような気がする。というか、相手のことを考える能力というか。


 そうではなくて、すべて理論で説明できるという方は、メールください。


2004年10月28日

赤いシリーズの主題歌から



あとどれくらいでしょう。新モジュールは予想通り遅れています。予想通りなのだから遅れとは言わないかもしれませんが。


この10年近く、いろいろなソフト開発業者のひとたちとお付き合いさせていただきましたが、多くの場合、ウェブは幼稚だと考えているのがわかります。


ソフト開発というのは通常プログラムを組む仕事ですから、プログラムと呼ぶには手軽過ぎるタグはもちろんのこと、PHPですらスクリプトと読んで、プログラムではない(ということはソフトではない)一段下の仕事、したがって(プログラムのプロの自分たちには)容易にこなす事ができるという認識でお話をなさいます。


でも本当の問題は、プログラムのコーディングの難易度とはあまり関係がなさそうです。


つまり、そういう業者さんに、ワープロや表計算ソフトの開発を委託した場合を想定してもらうとわかりやすいと思うのです。


現在残っている主要なワープロ以外にも実の多くのワープロが開発されました。表計算ソフトも少なからず存在しました。それらは、みなマイクロソフトの陰謀で消えてしまったのでしょうか?


理由はそれだけではないと思います。


技術的な難易度はたしかに存在しますが、ワープロのように、誰もがよく知っていると思っているソフトのようなものでは、おそらく技術的な困難は少ないでしょう。


では、ソフト開発業者であれば、だれでも使いやすいワープロを作れるのでしょうか?


そんなわけないのは、昔の様々なワープロ(ソフト)をご存知なら、わかりきったこと。もし、「マイクロソフトのワード」を開発しろと、現物を見せられながら言われたら、できるかもしれませんが、その場合は明らかに亜流として退けられるのを避けられないでしょう。あくまでも誰も見たことがないか、実際には存在しなかったものを作るのでなければ意味がありません。


同じように、どんな業者さんであっても、ひとつとして同じHPを作るわけではないのですから、いつでも、うまくできるかどうかは、神のみぞ知る、です。でも良い方法論を確立しているところは、とうぜん品質も保ちやすいはず。


わたしが関係した中で、唯一合格点を与えられるのは、栄養研の現在のHPのデザイン(情報デザインではなくて、あくまでも見た目のデザイン。階層構造は私のデザインですが、こちらは拙速という言葉が良く似合います。アヰタ!)を担当した業者さんです。Fさんという女性のSEの方が、少なくともウェブを低いもののように話さず、実際にそういうスタンスで取り組んでいただいていると感じました。


残念ながら、この業者さんはHPから撤退してしまいました。まじめにやったら本業を圧迫することに気付いたのだと思います。


2004年12月18日

からだに「わるい?」



 遅まきながら気がついたのだが、科学の研究に携わる者という肩書きの人間である以上、善悪のような道徳的な判断を研究に持ちこんではいけないのに、最近の書き物は間違いっぱなしだった。


 ような、気がする。


 たとえば、朝食を抜くと、太る、または、やせる。


 これはよろしい。でも次のような言い方は絶対的によろしくない。


「朝食を抜くのは良くない」または「朝食を抜くのは身体に悪い」


 後者は「身体に」悪いと言っているので、一見価値判断ではなさそうだが、そんなことはない。医者に行って、お酒は身体に悪いからやめなさいといわれたら、そんな非科学的な医者の言うことは(科学的には)信用しないほうがよいわけだ。


 なんて、まあ、とりあえず断定的に書いてみたが、こういう判断は実のところ医学の世界ではあまりにも蔓延しすぎていて、それなしにはなんのサジェスチョンももらえないというくらいにフツーの言い方である。


 たとえば、15日付のCNNのニュースのタイトルは、"Report links marriage to better health"つまり、結婚は健康に良いと言っている。健康はたしかに価値基準のひとつだから、より良くなったりより悪くなったりするのは当然だが、結婚が健康に良いと言われたら、誰でも結婚が良いことだと無意識に考えてしまうし、実際に記事を書いたライターの念頭にもそれがなかったとは言いきれないと思う。


 だが、もう少し厳密な書き方をするならば、この記事は、結婚をしている人の場合、していない人よりも、自分は健康だと思っている割合が高いという調査結果が米国で出されたということに過ぎない。


 もし、記事のタイトルが、「既婚者は未婚者より自分を健康と思う」だったら、どうだろう。少なくとも、結婚したほうが良いんだ、と短絡的に思う人の割合は減るだろう。


 いや、実際に、例えば平均寿命が違っているという可能性はないとはいえないが、たとえそうであったとしても、それを「良い」「悪い」というのはよくないということに気付いたということなのである。


 少なくとも、それは科学的ではないし、多分哲学的でもない。


 ような、気がする。のだが。


2005年01月15日

プルタルコスは



(以下の文章は、品位に欠けるどころか、最低の文章であることは請合います。関係ないひとは読まないほうが良い。わたしがお付き合いしている業者の方が悪いのかどうかはわからないけど、この程度のことはIT業界ではあたりまえ。栄養業界ではとんでもないかもしれないけれど、とりあえずお金を要求してみて、反論されたら、そんなつもりはなかったと言い訳するというのはIT業界ではふつうのこと。だからとやかくいっても始まらないが、それも程度問題でしょう。)


 プルタルコスは、風通しの悪い家には住まないのが良いが、もしどうしても住まなくなったら、いろいろするべきことがあるといって、様々な工夫を列挙しています。ざっと2000年くらい前の話です。


 確かにこの世はすべて「銭ズラ」かもしれません。独立行政法人なんかに勤めている人間は、この世の経済原則を全く理解していないかもしれません。研究所でプログラムなんか書いている人間は、いわゆるプロパーな「プログラマ」からは唾棄すべき存在なのかもしれません。


 技術力に自身を持っている業者さんがウェブの技術をそもそも「技術」とさえ見なさないのは知っています。何人ものそういう「プロフェッショナルな」プログラマさんにお会いしました。


 私自身、ウェブをプログラムするという言い方にはたしかに違和感を覚えます。基本的なタグは、プログラムというよりはWordで文書を整形することに近いからです。


 とはいうものの、それがCSSの使い方を無視して良い理由にはなりません。プログラムが優れているから、見た目がどうでもいいとか、おかしな蛙がいて、予算の都合でただそこにいるだけになったけど、まあいいか、とか、そういうので良いという理由になんてなるはずがありません。


 契約というものにそってウェブサイトを開発するのであれば、契約の内容は厳密であるにこしたことはないですが、もし曖昧なままで契約をしてしまったとしても、わたしが一方的にだからこれもあれもというのはずるい考え方です。こちらのほうが状況を良く理解していると普通は考えられるからです。業者のヒトがわかっていないところを意地悪く突いても良いものができるはずはありません。


 でも、わたしがそうしないからといって、私が追求しないすべてのことを、ただわたしが「気がつかない」から「知らん顔して」やろうというのは、あまり良い考え方とは思えません。


 わたしが50%完成したからといって、すぐによろこんで全額の支払いをしてしまうような「甘ちゃん」であるのを知って、その日の内にさらに追加料金を請求する電話をかけこられてしまうのは、確かに研究者であるための弱みです。会社の経営者たるもの、その弱みにつけこまなければ失格でしょう。


 私は、今のシステムはGAIAXのもので完成はしていると考えいるので、たとえXOOPSのシステムが今のままで終了だとしても、もうこれ以上のお金をつぎ込む気はありません。年が明けてできあがったものが、昨年末のものよりはるかによかったとしても、それが別料金なら、そんなものいらない。


 他の先生はまた違った考え方かもしれません。それはわたしにはわかりません。


 3ヶ月で充分にできるとうけあったものをそれからさらに4ヶ月延ばし、さらに追加料金を請求してくるのが業界の常識なのかもしれません。わたしは、「研究者の世界ではやりかたが違うかもしれない」などという言い方で、間違っていることを暗に指摘されてしまいましたので、間違っていることだけは確信できました。


 違っているのならそれでけっこう。好きでやってるわけじゃないんだ。あとは他の担当者と話し合ったら良い。


 そんな意図はなかった? 


 いまだによくわからずにやっているから、そういうことになるのでしょう?


 わたしはあなたがほこらしげに完成したと宣言する根拠になる安くなはい支払いを許可したことを、心底後悔すると同時に、かわいそうだと思った自分を呪っています。できることなら、支払いを中止してもらいたいと、本心から望んでいます。IT業界ではぜったいにやってはいけないことでした。


 感情的になるのはいけないというのはわかっているけど、


 これ、質問に一つ答えたら、すぐにその解答が見えるようにできますか?


 やってみました。


 でも、これ質問一つに複数の解答ページが出てきて、いつ次の質問がでてくるかわからないじゃないですか。もっと単純に、質問、解答、質問、解答の繰り返しにはできないんですか?


 できません。


 じゃあ、もとにもどせませんか?


 もうもどせません。


 やっぱり世の中、福沢先生なんですね。


 でもそれは常套手段。本当に汚いと思ったのは、9月末納期の製品を2割程度しか完成できなかったのを、「12月まで延長してきちんと対応させていただいた」という趣旨のメールでした。


 わたしとしては、「当所の通常の予算の数倍にもなる破格の予算で、しかも納期的にも充分余裕のある契約をお願いしたのがまったく不履行だったにもかかわらず、契約期間が2倍以上に延長されても違約金も請求せずに、契約額満額をお支払いしました。したがって、これ以上の請求はそのまま違約金として逆に請求させていただくのが順当かと存じます。」


 でもそれって、完成したものがあったらっていう話でしょう?


(2005年は以下ずっとこんな調子で怨みつらみのオンパレード。今読み返すと、当時の業者の実態がわかって面白かったりする。2006.6.6)


2006年08月23日

それでもGoogleで採取されている

こんなに、たった一度だけハテナの日記からリンクを張っただけのサイトでも、Googleで検索できるので、あとはそれがいかに上位に来るか(今はほとんど最下位に近いかも)が問題ですね。

上位にきたら困るので、今のままでもちろん良いのです。

宣伝なので、えいよう・こみゅーんをよろしく。

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